リツエアクベバ

satomies’s diary

親戚のおじさん

先週、娘が病院で採血をした。

娘は娘の人生の中で、21歳まで「医療行為豪傑」だった。予防注射にひるみもせず、ヒョウソウで指が膿んだときはメスに向かって指を突き出す。目医者も歯医者も耳鼻科も、苦労したことがなかった。

21歳で、急に「医療行為弱気女」になった。採血や予防注射を非常に怖がる。できなくはないが、とても頑張らなければならない。いや、最初のきっかけになったときは怯えきって採血ができなかった。

なぜか。理由の推測はいくつかできるが、誰も本人ではないのでわからない。今日の彼女に向かい合って支援を考えていくだけだ。

怯えきって採血ができなかったときは、事業所での健康診断だった。同じ場所で同じ検査は4回目で。あまりに去年までと違うので驚き。しかし新しい支援の組み立てとして、事前から伝えて励ました。がんばる、やりとげる、誇らしくよろこぶ、の流れがやがて定着した。

今回の採血で、処置室で看護士さんに言った。「採血はできる、平気なフリをする。でも不安は強いので付き添う」。

看護士さんは娘に声をかけ励まし、「おかあさんに手をつないでいてもらいましょうか」と言った。娘はわたしの手を振り払った。
でも、処置室を出た時にぴったりとくっついて座ってきて、息遣いがはあはあと早かった。緊張したんだろう。

さて。あとは大威張り。いちいち小さい絆創膏を貼った腕を突き出す。「えらい、えらい。がんばったねー」と褒めると「がんばったねー」と返してくる。まあ何度も繰り返してくるが、仕方がない。がんばったんだろう。

いや、しかし。爆笑した。
娘が弟に向かって、同じように絆創膏を貼った腕を突き出した。
「あ、えっと、注射、したの、かな」。

娘はずっと「姉」で。自分よりずっと大きくて、すっかり世界が違う弟なのだけれど。信号や横断歩道を渡るときは弟の背に手をやり弟を守る。両方成人している今でもだ。子どもの頃も、母に頼まれて弟を守ることを真剣に取り組むが、弟に世話をされるなんてことは絶対に許さなかった。そして今でも弟を守る姿勢を見せることがよくある。とにかく彼女は頑として「姉」であり続ける。そして「弟」はその「姉の心」を理解している。「弟」は、ひたすら「姉大好き子ども」だった自分を知っている。

「弟」は、腕を突き出す「姉」に、「がんばったねー」とか「えらかったねー」とか言えないんだ。なんせ「姉」は姉の意志として「姉」であり続けてるんだから。そんなえらそうな物言いができるわきゃない。

じゃ、どーすりゃいいんだ。なんて言えばいいんだ。と葛藤した彼が出した答えは「あ、えっと、注射、したのかな」。

なんかアンタ、子どもに慣れてない親戚のおじさんみたい!と、母は大爆笑。

「だって、さー」。

わかる、わかる、よくわかるよ。いい子だね。