リツエアクベバ

satomies’s diary

大きい子の親

ダウン症がある赤ちゃんが自分の子どもとしてやってきて、たいがいにおいて仲間と手をつなぎ始める。最近では、インターネットの中に情報と仲間をさがす。親たちはだいたい「赤ちゃんのパパママ」「小さい子のおとうさんおかあさん」「大きい子の親」みたいな感じでカテゴリー化されていく。
だいたいというか、一般的にというか、わたし個人の印象というか、もりもりと元気で活動的なのは「小さい子のおかあさん」たちだと思う。赤ちゃんのママを助け、導き、明日を考えて行動する人が多く、そういう時代なのではないかと思う。ネット上でも圧倒的に元気なのは「小さい子のおとうさんおかあさん」だと思う。見えてきにくいのが「大きい子の親」だ。
わたしは「大きい子の親」になり「大人の人の親」になった。「小さい子のおかあさん」だった時にこの層が存在感が薄く見えにくかった理由がわかる気がするようになってきた。障害告知を経て、育つ子どもの姿を見てその子どもの姿に励まされ、しあわせを教えられ、親たちは育っていく。幼児から小学生へ進む時代に子どもがすくすくと目に見えて育っていく期間に、親たちもたくさんの経験を手に大きく成長していく。その時代の意味がよくわかるからこそ、その上の親の存在感は薄いくらいでちょうどいいんではないかと思う。
啓蒙、啓発、キャンペーン的なものに対して、あんまり関心が無くなった。なんつーか、人にもよると思うが、障害というものに対して完全に肩の力が抜けているような気がする。障害自体が軽くなるとかではない。障害自体については、年齢があがってくると非常に現実的な側面が現れ、個人差も大きい。それが自分ちに起きているということが当たり前の生活になっているというか、そういう感じだと思う。
娘は10月に26歳になる。学校を出て今の事業所の「8年生」だ。今までの同じところに通う最長6年という長さを去年超えた。平日は軽作業をこなし、土日はゆっくり過ごし、一年の流れを意識して過ごす。「新幹線 旅行 おばあちゃん」がキーワードとなり、何度となくこのこと話しながら楽しみにしていたお盆が終わり、これまた非常に楽しみにしていた事業所の旅行が先日終わった。今週の週末にはボウリングに行き、連休中におばあちゃんのところに行く。来月は誕生日があり、11月には事業所が出店する地域の大型イベントがある。12月はクリスマス会だ。1月には事業所のおまつりがある。そうやって日々が過ぎる。
今月末にはダウン症の専門外来での健診がある。甲状腺の採血をすることになっている。採血は本人は大嫌いだ。でも、採血する人には気を使って平気なふりをする。「病院にいく」というと必ず「注射?」と聞き、「いやだ」と言い張るこの人に、たぶん「お願い」をしまくって連れていくことになるんだろう。
採血は、昔は平気だった。平然と手を出し、処置をした。予防接種もすべてそうだった。ケガの類もこの人は豪傑だった。小さいときは転んでも泣きもしなかった。今の事業所に入り毎年の健診で採血があり、それも全然平気だった。それが4年ほど前から採血をとても怖がるようになった。前よりちゃんと自分の気持ちを出すようになったんではないか、という解釈もある。わからない。
ただ嘘も誤魔化しもできないと思う。知的障害という垣根を通して、わたしたちはできる限りのコミュニケーションを築いてきた。曖昧な誤魔化しは信頼に関わるよね。うん、誠意を込めてがんばります。