リツエアクベバ

satomies’s diary

ずっと友達でしょう

昨日、テレビでドラえもんの映画をやってまして。娘と観ていて、その後帰宅した息子も一緒に観ておりまして。わたしと娘は既に観ていたので二回目。どわ〜っとドラマは展開してエンディングテーマが始まって。エンディングテーマが流れた瞬間、どたっと音をたててわたしはテレビの真ん前で正座した。
しかしエンディングテーマはさわりだけ流れてすぐに画面はCMに切り替わり、そのあざやかな変化とわたしの落胆に息子が吹いた。あ〜〜、がっくり。
いや元々映画のテレビ放映に期待してはいけないのだけれど。でもね、あの映画はエンディングの最後に「ずっと友達でしょう」って歌詞が響いて、それで終わる映画だよなと思ってたのに…。そこ重要でしょうよ、ねえ。
そりゃテレビじゃあのエンディングまではもたないかもしれない。実際の映画館でも子どもたちが「ずっと友達でしょう」の前にとっとと席を立つ光景があったとも聞いてたし。でもあの映画は「ずっと友達でしょう」で終わる映画だよ、ねえ。



予告編でも「ずっと友達でしょう」は流れるんだけど、でもその「ずっと友達でしょう」は聞いてても、それは予告編のシーンを観ただけでしかないようなもの。予告編に出てくるシーンだって全編通して観てこそのシーンであり、「ずっと友達でしょう」もそうだよ、そうだよねと思う。

事前に曲を聞いていて充分知っていたにも関わらず、この映画のエンディングの「ずっと友達でしょう」はなんつーか、心の奥底にダイレクトに入り込む「ずっと友達でしょう」だった。三段階で少しずつ変わっていく画面は、この映画のシンボル的要素を静かにぐいっぐいっと渡してくるような感じだった。
昨日テレビで観た後に「ずっと友達でしょうエンディング」にならず、自分の中で欲求不満で終わってしまったことから検索かけてふむふむしたりしていたのだけれど。そこで素晴らしい文章を見つけてうれしかった。ドラえもんのファンの方が書かれた文章で、「『ずっと友達でしょうエンデイング』じゃなくっちゃダメだよね、ダメだよね」と、自分の尻切れトンボ感をすっかーんと晴らしてくれるような感じがした。しかも情報をきれいに整理してくれていて考察ポイントもプラス。上映後一年経ってもこうした文章に出会えるweb世界は素晴らしい。

mtguire(R)