リツエアクベバ

satomies’s diary

家族で映画

魔法にかけられて」を観に行く。「レミーのおいしいレストラン」を観に行ったときに、宣伝で予告編が出てきた。ディズニーアニメのプリンセスがニューヨークに現れた。ディズニーアニメの世界と現実の世界とのギャップのシーンに大笑いして、これは観に行きたいと思っていたもの。ディズニーアニメのプリンセスの世界は娘にはわかる。だから娘の理解に無理はさせはしないだろうという感覚と、現実世界とのギャップのおかしさはもう息子には笑える年齢として充分過ぎるだろうと思ったし、実写版だから夫をつき合わせてもいいかもとも思った。
それにしても、まあ自分が観たいのでつき合わせる意識はあったので、事前におもしろくね〜かどうかはネットで確認。全米興行成績は2週続けて1位*1だったそうなので、失敗はね〜かなと思ってたとこはあった。
感想は…。う〜〜ん、という感じ。一言で言えば中途半端。ディズニーアニメのプリンセスが現実世界にやってきたギャップというシーンに関しては、そのほとんどが予告編に出ちゃってるわけで。すっかり見慣れてしまったシーン以上のインパクトは無かった。夜のニューヨークで派手なねーちゃんが一人フラフラと陳腐な行動を取っていても、その陳腐さは目立つけれど、誰かに襲われかねない危険は出てこない。へらへら笑いながらティアラを盗って走って逃げる弱々しいホームレスらしきじいさんが出てくるのみ。なんだコイツ的な視線を浴びせられながらも、結局はとても簡単に周囲がディズニープリンセスモードに巻き込まれる。公園でプリンセスが歩いてそこで歌い出すと、なぜかそこに居合わせた群衆がTDLのパレードみたいになっちゃうしね。
プリンセスのお友達によるお部屋のお掃除。ディズニーアニメではかわいらしい動物たちが動き回るけれど、実写のニューヨークではドブネズミやゴキブリが部屋の中に雑菌をまき散らす。それを目撃する部屋の主は大騒ぎはするけれど、その後消毒のための業者を呼ぶとかそういうことにもならない。このあたり、「レミーのおいしいレストラン」の方が、ネズミに対しての視点がシビアだったよなあと思う。
また、プリンセスが実写の方で恋をする「離婚経験のある子持ち弁護士」。この男性がもっている、おとぎ話ではないリアルな人生の傷の描写が曖昧。
全米一位の時期があったのかもしれないが、それがちょっとピンと来ない。わたし個人の感覚では、どうやったって何をしたって、これは「スプラッシュ」にはかなわない。人魚と人間の恋物語。子どもの時に海に落ちて助けてあげた少年、その少年が青年になったときに再び事故で海に。そして再び助ける人魚。人魚は青年に恋をし、出会うために足を手に入れ陸に上がる。そうして人魚が自由の女神の前に出てくるときは全裸だし、その異様さですぐに警察に連行されてしまう。身元引受人になる「運命の少年」である青年とのドラマは展開されていくけれど、人魚を人魚と見抜いて生け捕りにしようとする人間の存在も出現する。そんな堂々現実の中で、ファンタジーをも展開させる。これもディズニー屋の映画なんですけどね。

スプラッシュ(映画)-Wikipedia

レミーのおいしいレストラン」は、ネズミにしゃべらせたり料理をさせたりしながらも、現実の視点でのネズミに対してというギャップはきちんと展開させる。そこから現実世界ではあり得ない結末にもっていくからおもしろかったんだと思う。
魔法にかけられて」は、実写を使おうがなんだろうが、結局はずっと絵本。安全なパレードのような世界。実写版で出てくる龍の顔さえなんかちょっとマヌケでかわいい。まあ要するにディズニーの安全なセルフパロディのショー。ドラマとはちょっと言い難かった。
しかしアニメ版からプリンセスを救うために出てきた王子様は完全なピエロ。プリンセスはピュア路線を突っ走っても結局はその要素を愛玩され、王子様はプリンセス以上にアホの子決定。こっちのシーンの方がプリンセスシーンより容赦が無い。プリンセスを救うためにやってきたのにプリンセスさえも他の男に恋をしている。お気の毒。まあガラスの靴?で他の女性をプリンセスとして取っ替えてお持ち帰りになったからいいのかもしれないけど。まあ結局は、おとぎ話の王子様の結婚のきっかけなんてひどくお手軽なもんよね、みたいな。こっちのセルフパロディの方が(そんなホントのこと言っちゃっていいの?ヤバくないか?)、なんて感じ。本筋のカップルがよけりゃそれでいいのか。
その中で。こうくるかと思ったのは、プリンセスがヒールを投げ捨てて男のために戦うために飛び出していくこと。守られて助けられる立場で生きてきたプリンセスからの脱却。
あとおもしろかったのは。王子の継母の女王の言うことを聞いている家来が、家来だから言うことを聞いているのではなく、女王に恋をしているからだったという設定。そこで自分の立場に目覚めるのが実写世界でのラジオかなんかの人生相談だったという展開。