明日、実家に行く。
新宿から私鉄に乗って、最寄駅で降りて母の住む家に歩いていくときに。りゅうちぇるさんが亡くなった場所を通る。そこを通る時に(ごめん)と小さく思う。たぶんわたしも彼を追い込んだひとりなんだと思う。
はっきりとものを言う、愛情深い男の子。それがだんだん女の子になっていく姿に、わたしは違和感を覚えたひとりだったから。特に誰に何を言うわけでもないが、違和感は間違いなくあった。
その違和感の本質は、気味の悪さだった。その気味の悪さとは、いわゆる男性の女性化ではなく。上目遣いで、ひとの関心を乞うような姿の「女の子」になっていくことが、わたしは気持ちが悪かった。
彼女は自分が求めていた「彼女」になりたかったのだろうと思う。ただわたしは、彼女の求めていく姿形を見ながら彼女はお人形さんになりたいように思えて。それが何か「女性性を馬鹿にされている」ように思っていたのだと思う。
最近カルーセル麻紀の、自己の半生を語る記事が新聞連載であった。彼女の求めていた「女」は認められるしリスペクトをもつ。
だからなんだというんだろうと思う。彼女は彼女が求めている「女の子」になりたかった。それだけなのに。
あの、死んでしまった「彼女」は、彼女に対しての直接的攻撃と、わたしのような「ひっそりとした違和感」の中で、人生を見失った。
どうしようもないなかで、わたしはあの道を通る時に、ごめんと思う。そのくらいしかもうできない。ごめん。