リツエアクベバ

satomies’s diary

およよ、そうきたか

クリリン発動しまくり/kmizusawaの日記

 およよ。
 いや、女ばっかのなま暖かい場に育った自分の影響なんてことの話だったんだけどそうなったか、と思った。
 特に、というか。わたしが通った私学の中高というのは、まあ中学高校6年間が完全一貫教育というヤツで、高校で外部からの入学は無し。つまり学年全員が6年間純粋培養だったわけで、ごきげんよう。ん?なんでここでごきげんよう? あのね、起立、礼、「ごきげんよう」なの。朝も昼も帰りも全て「ごきげんよう」。この「ごきげんよう」の挨拶というのは、都内私学女子校には多いみたいで。朝も昼も時を問わず、出会いも別れも使える美しい言葉「ごきげんよう」ということで。
 で、その中にあった世界はいいも悪いもなま暖かい場という感じ。だからこの世界を出たときに単純に「ほえ?」と思うときがある、と。
 同じ場で育った人間の中でもその個性はいろいろなのかもしれないが、わたしは同性を、というか女性をほめるのはけっこう好きな方だと思う。ほめたことでなんか見返りが欲しいからほめるのではけしてなく、ほめたいとこが目に入った場合にそれを口に出すのにあまり躊躇はしないという感じ。いいな、と思ったときも、割と躊躇無く口に出す。
 女性は、と言ったけれど。男性は、というとコレは実はわからない。なんでかってーと、わたしは女性でわたしがほめる場合は「異性にほめられる」になるので、前提条件が変わってくるというか。
 で、その「ほめる」とか「いいな」とかに横槍が入ると、なんかもう単純にびっくりする。不快というより場の処理に困る。わたしごときのほめ言葉に、公平性なんて求めないで欲しいとかも思う。でも誰かがほめられるのを見たときに、ざわざわって心が動くときに、その表出の仕方は人によっていろいろってことなのかもしれない。ざわざわって心が動くことはそれは心の動きってものなんだろうと思う。心が動くってこと自体はいいも悪いもない。
 「髪の毛長くないと女じゃないの?」と、なんか論理性っぽく言われるとすごく困ってしまうのだけれど。アタシの短い髪の毛だってかわいいし似合ってるでしょ、って言われれば、うふんごめんかわいいかわいいなんてことを言う場合はあるけど、そんなこた誰でもべらべらと言えるもんじゃないと思うし、こういうのべらべらと言えるタイプはこんな風に、なんだか変にもってまわった論理っぽいことは言わないんだろうなあと思ったり。
 でもってkmizusawaさんとこのコレ。

 私は別に計算して行動してるわけじゃないんだけど(と思ってるけど)、だからこそ自分のやってることに気づけないところもあるだろうし、なんかなそこらじゅうで知らない間に人を不快にさせてんだろうなとか思ってしまうんだよな。

 そんなのみんなそうだろうと思う。だからなんとなく、自分の快・不快と似たようなとこの場をさがしていくってとこもあるんじゃないかと思う。自分がなるべく他者から与えられる不快感を感じないとこ、自分がなるべく他者に対して不快感を渡してしまわないとこ。人間関係の層みたいなとこ。ネット上は別の層が時々鉢合わせをしてしまうけれど。
 さて「クリリン発動しまくり」なんていう刺激的なタイトルつけてきたkmizusawaさんだけれど。わたしはこの方のエントリから関連する話題一日二本立てなんてことをやったことがあるわけで。

 ね?すごくない?ね?すごくない? kmizusawaさんが迷いの中で書いた文章からふたつもばりばりで書いちゃったよわたし。いろんな色で他者にモチベーション与えたkmizusawaさんってステキじゃない?
 でもさ、ネガティブにクリリンってもってく方ってのは、たとえばこういうヤツ、こういう関連話題でいいなって感じのこと話題にもっていったとしても、それってアタシアタシアタシのこと?なんて風にはならないんだよね、多分。だからそれはカウントにならない。だからカウントとしてはいいもんは自分のカウントの中には含まれていかない。そういうこと、ねえねえ、ってちょっと渡しておきたくて、書いとく。ではごきげんよう