母を家に連れ帰って一週間が過ぎた。母は「動きやすい間取りの家」に住み、元の家の動きにくさを実感したらしい。
わたしはわたしで、同居のトラブルになりそうな「芽」を見つけたので、それは母に言った。
「食事の時間はほぼ決まっているのだから、呼ばれる前に動いてほしい」
「ごはんができました」と呼ばれるまで動かない。ベッドの上で動きが無いと、こちらもそのタイミングで声をかけていいのかもわからない。
「ごはんだけれど食べるの?あとで食べるの?」と声をかけると、「食べる」と起き上がり、時間をかけて移動してトイレに行き、それから食卓につく。けっこうな時間がかかるものだから、娘の「おてつだい」の食卓の準備はどんどん進む。盛り付けた料理も冷めていく。
こちらも食事の支度を中断して、お声かけをしにいかなければならない。食事の支度をする中で、どのタイミングで行けばよいのか。早過ぎないか、遅過ぎないかとか。毎回思うのは、ほんとめんどくさい。些細なことだがこのあたり、小さくストレスにはなっていた。
「呼ばれるまで待っていた」というので、時計が見えるなら、わざわざキッチンから出させて自分のところにうかがわせて、みたいなことを当たり前に思わないでほしい。みたいなこと。
自分が入院中、食事の時間近くには、動けないなりに配膳を待つ姿勢で迎えていた。配膳がくるときギリギリまで伏せっているのと、お迎えできる状態に自分をもっていくのと、相手に対しての態度はわたしは違うと思う。
とかなんとか。貯める前に話し合う。これができるうちはちゃんとやりたい。