リツエアクベバ

satomies’s diary

5月ヘナ

日記を確認すると、3月ヘナが3月16日だった。入院したのは4月10日。4月ヘナなどやってる余裕などなかった。タイミング的にも発症日あたりではまだ早い。

入院した日はまだ、自分でトイレに行けた。鏡を見てくっそーと思った。生え際がギリギリのところというか。ここからじわじわと、「はーい白髪でーす」が生え際で元気に育つ。ああ、2週間は入院するのか、イヤだなあと思った。ったく、ババアメンテは早めが勝負だぜ。と思った。

まあ、それから「もうなんでもいいわ、わたしキツイの」になるのですがね。もう頭の生え際が白くなるなど、生きてる証でしかないわな。

退院日には、キリキリと高めに結んでポニーテールにした。分け目をつけないとほんのちょっとだけ誤魔化せる。
あと、高めに結ぶと「マイナス3歳」くらいは大半のオババはいけるというコツをプラス。やっぱり退院は「きれいに」いきたいよね。

という余裕を取り戻すくらいに、気持ちは回復。

さて、5月2日。思いついた日がヘナ日。動ける体を取り戻してきたので、貧乏くさい髪の色ともバイバイです。

5月21日にはなんとしてもきれいにしていたいの。病院の外来に再診に行くから。ま、5月20日に再度ヘナだな。タイミングは早いが仕方がない。

長い髪をヘナ染めし、ヘナの色素が髪に入り、髪がきれいな赤銅色になる。ドライヤーをかけ、色の仕上がりを見ていたら、娘がそわそわし始めた。

娘は「あるけない」と言う。外には「いかない、あるけない」と言う。大好きな通所も「いかない」と言う。
夫と話す。たぶんこの妙なフラフラするような体感が、彼女にもあるんだろう。わたしたちはこれを「後遺症」と解釈し、二か月かそこらはかかるのかもと覚悟しながら、この体感のまま「動ける体を取り戻す」ことを選択した。

それはやっぱり、わからないなりに情報をつかんでいるからだ。娘は情報難民で、「具合が悪ければ休む」を出ないと思う。それならそれでいいと思った、我慢することはない。
ただ、彼女のモチベーションがうまくつかめれば、本人の生活を上げることはできるだろうな、と。思っていた。

その娘が、わたしが髪にドライヤーをかけ。髪の色の仕上がりを鏡で確認し、化粧を始めたら、そわそわそわそわし始めた。

ちょっと気づかないフリをして、買い物リストを「息子と相談しながら」メモったりし。バッグを持ってきたりしていたら、なんか首を伸ばしてわたしと視線を合わせてくる。

「お買い物行くけど、行く?」
「行く!」

夫と娘を車に乗せて、一番近いドラッグストアにお買い物。

ハンドソープの詰め替え、キッチンアルコールの詰め替え、ティッシュ、マスク、トイレットペーパー、牛乳、チーズ、歯ブラシ、ビール!
それからシュークリームやヨーグルト。

心配していた娘が、なんだかすっかりご機嫌になっていたので、ちょっとほっとした。
帰宅後すぐに、三人でパルスオキシメーターの計測タイム。三人とも問題なし。

しかしわたしだけ、やっぱり心臓がバクバクする。心拍数には問題なし。そこまでではないけれど、パニック障害の人の動悸はこういうものかとちょっと思う。

体に異常は見られないのに、症状に異常をきたすことが人間には起きる。
酸素濃度の数値が低くなっても、実際に息苦しさを感じにくいことがあるコロナ。
人間の体とか、ウイルスとか、不思議なものだなと思う。