リツエアクベバ

satomies’s diary

年齢相応と認知症の境

母の記憶のことについてのメモ。

  • 脳のCTで「萎縮は無い」との判定は出ている
  • 会話をしていて、ちょっとしたことで「わからない」「忘れた」ということがある
  • そのことについてのエピソードや関連ワードを提示すると、するすると全て思い出す

今日、話していたこと。わたしは、「わからない」「忘れた」と言われたときに、あきらめない。相手を否定せずに、丁寧にその関連ワードを出していく。

これはけっこうエネルギーが要る。そして、母が思い出すことができたときに。するすると出てくるものがけっこう膨大になり、そこから生まれてくる会話にどっぷりとつきあわなければならない。

この作業をやってくれる相手は、この年齢層の年寄りにどれだけいるんだろうかと思う。

「忘れた」「わからない」に対して「はいはいおばあちゃん、なんでもないのよ(にこにこ)」(やれやれ)が、大半な気はする。そしてこの時点で(ばあちゃんはもうボケた)という判定がなされるような気がする。

わたしはあきらめが悪い。これは脳の回路が少し詰まっただけだと判断して、回路を探す。
しかしそれは果たしてよいことなのだろうかとも思う。にこにことやり過ごすほうが、実は本人に優しいことなのかもしれない。

ということで、今日、本人の意志決定としての選択を母と、そして夫に聞いた。夫だっていつか老いる。わたしより年上なのだから、わたしから見てそうした時が来ないとも言えない。
「あきらめが悪くがっつり対応されるのと、にこにこと受容されるのとどっちがいい?」

ふたりとも「あきらめが悪い」方を選択したので、それはそれでわたしはがんばるが。わたしのときに、それをやってくれるひと、それをできるひとがいるとは思えない(息子にはできない)。
なので自分でやるしかないよなあと思って、そのための脳を鍛えようと思う。