リツエアクベバ

satomies’s diary

実家詣

今日は朝から夕食を仕込み、母のところへ。

横浜から新宿に向かう電車、6月7月8月と乗り、2ヶ月ぶり。今までは空いていたが今日は「コロナ以前」という感じの混み方だった。世の中は慣れてきたんだろう。

11時過ぎに到着し、父に線香をあげ。それからビール飲んでちまちまといろいろ食いながら、ずーっと母と話す。
どう思うか、あああれは。そうそう、あれがさ。ひとつのことを掘り下げたり、心理についてあーだこーだとか。そうそう、自分のコンプレックスの扱い方とか。気の合う「友達」なので話がはずむ。

思考の源のような話で。高齢な母は、いろいろと忘れてしまっていることもけっこうある。それを当たり前なこととして、わたしは「そのあたりのこと」を丁寧に説明する。そうすると、忘れてしまっていることでも、そのことに関する「本質的なこと」について、また話がはずむ。これはこれでおもしろい。

来年米寿で。あと五年くらいかなあというので「うぬぼれるな」と言う。舅の87はもっと弱っていた。母はピンピンしてる。あと五年で終われるほど人生は甘くはない。

病気さえしなければ、と言う。本当にそう思う。舅も、去年の腸閉塞の手術が不調の始まりだった。入院生活も、がくんと弱っていくポイントのように思う。

喪服をどうしようかと思う、と相談する。服ではない、着物の話。紋のついた喪の着物は引き取り手がない。業者が洋服に仕立て直すと諭吉が10人以上必要になるらしい。

「わたしの喪服にハサミ入れる気ない?」と、長年自分の服を作っていた母に聞く。
「もう大物に手をつける集中力がない」と断られる。残念だ。