リツエアクベバ

satomies’s diary

言葉遣い

おお、言ってくれ言ってくれ。と思ったTwitter

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去年舅は入退院を繰り返した。嘘くさい優しいタメ語が飛び交い、うんざりした。「うちのおとうさん」が世話をされなければならない気の毒な人で、そこで働く「優しく偉い方々」の中にいた。もちろんふつうに優しくフランクな方もいて、そういう方が目に入るとすごくほっとした。

ただ。去年入院したいくつかの病院はいわゆる老人病院ではなく地域の総合病院なのに、入院病棟は年寄りでいっぱいだった。あちこちから叫び声が聞こえてきた。おかあさん助けてと泣き叫ぶ高齢男性の声も日常だった。
そんな中で働く方々の何かが変わるのも仕方がないことのようにも思う。

娘が特別支援学校に通っていたとき、面談で教員に「やめてほしい」と言ったことがあった。それは教員同士で生徒たちのことを下の名前で呼び捨てにしていたのを耳にした、という話。非常に不愉快だと言った。丁寧な指導の優しい女性教師だった。これは皮肉ではなく、本当にそう思っていたことで。今もこの教員に対しての親しみとリスペクトの思いは変わらない。
言ったことに対しては、反省する改めると言っていただいた。たぶん、親しみと何かの感覚が、職場の中でおかしくなっていたのかと思う。

娘は「ちぃちゃん」と呼ばれることが多い。保育園でも学校でもそうだった。しかし今、作業所では「ちぃちゃん」とは呼ばれない。仲間同士の会話で「ちぃちゃん」と呼ばれることは多い。しかし職員さんは一貫して苗字にさんをつけて娘を呼ぶ。どんなことでも向かい合って丁寧な言葉で説明する。たとえそれが娘にとって難解なことでも、向かい合って丁寧な説明をすることを省かない。その上で伝わる工夫をこらしてくる。
作業所からの連絡では、娘の行動や様子の説明に敬語が入ったりする。

なんというか。基本的なところで、わたしは今娘が通う事業所を信頼している。