リツエアクベバ

satomies’s diary

めんどくさいやつ

10代の時の人間関係での「みんなで会おうよ」お誘いを、また断った。断っても断っても声をかけてくれるのはありがたい。声をかけてくれれば、ふつうに「なにー!」というノリはある。でも実際それで出かけていくかというと、それはまた別なんだ。

娘の入浴は、半介助が必要。一人で髪を洗い切ることはできない。大人だからね、同性介助は基本にしたいよね。まあ息子に障害ある家庭は、母親が入浴介助するよね。だから限界あるよね。わたしが出かけたい言えば、土日ならば夫は娘の入浴介助は当然のようにしてくれる。
でもさ。それわかってて「出かけたい」ときは、それなりにとっても出かけたい時だよね。

「みんなで会おうよ」は、優先順位があまり上がらない。「みんなで楽しい」は、「みんなでの話題」でたいがいあまりほり下がらない。なんちゅーかね。わたしは出て行って人と時間もつなら、ゆっくり聞いたり話したりしたいのよね。え?それなに?どう考えるの?って質問できる間も与えられず、次の話題のスタートのきっかけをつかんだ人が別の話題を展開していくって、あるよね。

わたしは人に何を求めてるんだろ。思春期か、中高生か、語りたいのか。めんどくさいやつだな。それでもって、失礼でもあるな。ごめんなさい。

母とはたいがい月一くらいで会う。実家に行くこともあるし、母が好きそうな小洒落た安くない店で、そこそこ高いランチをしたりする。わたしの母は、母親としてはまあそこそこアレなんだが、友達としてはけっこう欠かせない相手だったりする。わたしたちは、あれをどう考えるか、あの問題の本質はなんだとか、一緒に過ごす時にはとにかく話題に事欠かない。

母は平成が終わるとまもなく86になる。体が健康なのでボケることに対して恐怖心をもっている。その「怖れ」の本質とかなんとかと、またわたしたちはやんやと飽きもせず話すのだが。

いやしかし。長生きさんが増えたといっても、80代後半といえばすでに大きな余命宣告の時計が始まってるようなものだ。母が死んだら、わたしは母親と友達を同時になくすんだろうな。キツいな。