リツエアクベバ

satomies’s diary

「ぶつぶつ更新」からさらにぶつぶつ

2011年11月12日更新分「ぶつぶつ更新」

こんなぶつくさにかまってもらった、ありがとう。の中のひとつ。

fujiponさんのはてなブックマーク
こういう時代だからこそ、今までどおりブログを書くことにこだわりたい、と個人的には思っています。

更新停止の墓標が立ち並んでしまったようなRSSリーダーにおいて、確実に呼吸を続けている方の言葉には説得力があるなあと。
彼のブログはわたしのリーダーの中に2つ入っているんですが。わたしはこっちが好きです。

じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@JUGEM

表示文字がちっこくてババアにはきついのでリーダーのまま読む。だからカウンターは回らないけど読んでる。日常の日記で特にすごいことが書かれているわけでもないけれど、ふーんそーかとか思いながら時折読む。気づいてみたらこの人がにーちゃんだった頃からなんのかんのと話を聞いてて、気づいたら息子に手を焼くとーちゃんかあ、とかってのに親戚のオバチャンみたいな感じがすることもある。
なんだっけ、ブログに人を見るとかなんとかって、そういえばLsty氏が言ってたなあと思い出す。うん、そういうことだと思う。そのLsty氏もずっとマイペースに更新を続けている一人で、わさわさと話題になってた頃よりも最近は楽しんで更新しているように見える。

他人の不幸は蜜の味

で、なんとなくこの二人が今まで言ってたようなことを彼らのidと単語とかを合わせて検索かけてたりしたら、おもしろいもんが出てきた。fujiponさんがLsty氏のブログを引用して記述してるもの。

ブログを書く意味 - 琥珀色の戯言

これが書かれてるのが3年前で、彼らの更新は変わらずに進んでいるのはいいなあと思う。いや「いいなあ」と、そんな感じです。
ちなみに「琥珀色の戯言」は読むだけではなく、時々使ってます。TSUTAYAのDVD100円レンタルの日に何気なく手にとって借りてきたのを観た後、ここから検索かけることがある。人の感想を見てみたい時に、元々感覚をなんとなく知ってる人がどう思ったのかのぞいてみたくなる感じ。いろんなもの観てる方なんで、全部とは言わないが検索で出るものも少なくないので、まあふむふむと。そんなとこはあります。
自分とこは(あれ、あの時、どんなことでどんな風に自分は思ってたんだっけ)という時、過去エントリは重要に「使える」ヤツです。わたしの記述の仕方に「臨場感」と言ってくださった方が過去にいらしたのだけれど。それがまんま本人であれば過去の出来事と自分の思いは「臨場感ばんばんばんばん」で迫ってきますから、その時の感情まで迫ってきて追体験ツール。
あと、妄想で。小学生の頃からわたしの日記の登場人物として「生きている」息子は早17歳になり、あと数年すれば社会に出る。どこかでいつか頼もしいオッサンに「おお、キミはあの男の子なのか」と目を細められたらおもしろいな、と。可能性はゼロではないな、と思うとこです。母の甘い妄想。