リツエアクベバ

satomies’s diary

fujiponさんからトラックバック

あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて/琥珀色の戯言

 いやこれはトラックバック受信というよりは、完全に「反応おねだりエントリ」を自分があげたということかと。お時間が無いという中で反応いただいて、非常にありがたかったです。
 文中リンクの「『僕がパニックに陥ってしまった理由』という記事」に関しては、自分のエントリのアップ後に結局探し出してブクマしてました。最初「当直日誌」を探し回ってたんですよね。あ、これは「Doctor's Ink」だ…、と思いついたら即発見、という流れでした。
 おねだりトラックバックで時間使わせて申し訳なかったのですが、しみじみと送ってよかったおねだりしてよかった、と思った。わたしはあの文章に書かれたことを、今、どう思われているのかが実は非常に興味があったのだと思う。
 この文章は書かれた年度等書かれていないのだけれど、古いものだと思う。わたしがfujiponさんのところを知ったのは、2005年の秋。トラックバックを受信したのがきっかけだった。うわうわうわ、ここおもしろいわおもしろいわ言ってるときに、どこだったかのコメント欄で「斬の人」が、「ああ『いやしのつえ』で、ブログ以前のテキスト時代から有名な人だ」と教えてくれたわけです。え?なに?なに?とか言いつつ飛んで、ばばば〜っと文章群を読んだ。そして記憶の中にすとんすとんと入っていくものがあったうちのその一つ。その2005年の秋の時点でも、けっこう前の方の文章だったと思う。あの文章を書かれて、少なくとも2年以上は軽くたっているのだろうな、と。
 そしてその2005年の秋からさらに年数を経ての今回の文章。期待通り「今」が出てくる。そして書く媒体の違いなのか書き方にも変化が加わっているわけで。そう、ひとつの体験を同じ人間がまた別の表現で出すというものを閲覧できるのは、ものすごくぜいたくなことかもしれないと思う。

当時の僕は、「この程度のことも乗り越えられないようじゃ、この先とてもやっていけないはず……」と悩んでいたのですが、実は30余年の僕の人生においては、「この程度のこと」じゃなかったわけです。人生はRPGじゃないので、最初に遭うのはスライムばっかりで、後からどんどん強いボスが登場するわけじゃないんですよね。にもかかわらず、「レベル1でドラゴンに遭ってしまっているのに、勝てないことに悩んでいる」っていうことは、けっして少なくない。もちろん、戦ってみるのも「経験」かもしれませんが、どうしても難しそうなら、そこで同じことを繰り返して煮詰まるより、「にげる」を選んだほうがいいんじゃないかと思うのです。
あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて/琥珀色の戯言

 この文章を書かれてから数年たった今でも、「あのときはあのときだったけれど、結局今思えばたいしたこともなかった」ということにはなっていなかったのだな、ということ。それがまた、別の書き方で書かれているということ。そしてその中でもこれはかなり名文ではないか、と、わたしは勝手に思うわけです。

「レベル1でドラゴンに遭ってしまっているのに、勝てないことに悩んでいる」

 だ〜。だよな〜、と、思った。そしてこの表現がすとんと自分に理解できるという意味で、ドラクエやっててよかったぞ〜〜、と思うわけです。やってなかったらわかんないと思うもの。ああ理解できる喜びだわ。
 しかし「『僕がパニックに陥ってしまった理由』という記事」がおいてある「Doctor's Ink」は非常におもしろい。誰かがプリントアウトしてきれいに製本してくれるとしたら、そうねわたしは2000円以下だったら買いますね。理由は製本された形で全部いっぺんに手にしたいという感じ。わたしにとって再読したいものの宝庫だから。
 fujiponさんは医師ということなのだけれども。わたしは20年くらい前、医師の方が執筆されるものを読むことに、けっこう凝っていた時期があった。図書館利用でいろいろなものを読んだけれど、蔵書として愛読書として長年の間ふと取り出して読み続けている一冊があります。本の後ろを見ると’91年に初版となっているので、この本を購入して早16年になりますね。古い本なので単行本ではもう手に入らないようですが、文庫が出ているので興味がある方にはオススメです。

医者が癌にかかったとき

 タイトルの「医者が癌にかかったとき」、これは第一章。これもおもしろいのですが、第二章死に方の知恵、第三章患者に学ぶ、第四章いのちを見つめて、と進む。こ〜れ〜がなんだかんだと(そうか〜)と考察の旅に出たくなるものの宝庫なんだな。
 なんて紹介のために引っ張り出してきたことをきっかけに、またこの本再読モードに入ってます。