リツエアクベバ

satomies’s diary

kumiさんからTB受信

 はてなの partygirlさんは、わたしにとっては彼女を知る発祥がgooのkumiさんなので、以下kumiさんで。
 kumiさんからTB受信。

死ぬ死ぬ詐欺について、もう一度/partygirlの日記

 このエントリに関してのはてブコメントのひとつ。

2006年10月09日 hatayasan 「私が正しいわけではないのかもしれませんが、私は行動を変えません」ぶれない軸から発せられる主張に信頼を覚える。
はてなブックマーク > partygirlの日記 - 死ぬ死ぬ詐欺について、もう一度

 ネット上でいろいろな話題を見ていて、話題を通して人が見える。hatayasanのコメントが、わたしはいいな、と思うし、実際に同意する。ネット上では様々な意見があるけれど、そこに信頼を感じられるか、その考えや姿勢に敬意をもてるか、ということはわたしには大きい。
 わたしはhatayasanに、信頼を感じるところがある。この理由に関しては夏に書いた「hatayasanを読みに行く」でちらっと出した。けっこうな議論になっていたのでurlの提示を避けたのだけれど、その内容というものは、山で遭難した方の実名をネット上でニュースソースとして出していくことに関しての是非だった。出すとされる方にはその理由はあるのだけれど、反対するhatayasanのぶれない意志に、わたしは信頼を感じたと思う。
 10月7日更新分は、リンクしたid:fujiponさんのところが書いたから書いた。fujiponさんの書かれるものの率直さというものに、わたしは常々信頼するところがあることは大きい。そしてこのエントリにも書いたけれど、「『子供の病気』というのは、『ある一定の確率で、誰かの元に確実にやってくる不運』」と書かれていたことはわたしには大きかった。医師であるfujiponさんがこう書く、ということは、わたしにとっては意味が大きい。医師という立場の人が、「あなたはこうだから」と線を引いてしまうか否か、ということは、実際に医療に関わる家族にとって重要だと思うから。死をちらつかせる繰り返す不調の中で、人工呼吸器に呼吸を助けられながら昏睡する娘。その状態のときに説明と共にいろいろな言葉の中で、娘の主治医の「線を引かない思考」が見えることは、わたしにとっては大きかった。だからfujiponさんに、あなたがそういう言葉を出すことはうれしい、と、わたしは渡したかった。だからこそ、医師であるfujiponさんにわかりやすいように、症例名を列挙した。付け加えるならば。娘の心臓は無理な循環の血液量が血管を肥大させ、その血管が片方の気管を完全につぶしてしまっていた。手術はこの気管を保護するために、肥大した血管をつり上げる処置も加えて行われた。
 信頼を感じている人が何を言うか。わたしにとってはこのことは大きい。わたしは自分のRSSリーダーに「社会」というフォルダをおいている。これはそのフォルダ名は「社会」だけれど、JIROさん専門のフォルダ。わたしはこの方の書くものにそんなに目立つ反応はしないけれど、ずっと読み続けている。その理由は、この方のぶれない姿勢に対しての信頼だと思う。以前からこれは意義の高いエントリだと思っていた生体肝移植に関してのJIROさんの文章をリンクさせていただいて、わたしは勝手に満足しているところがある。様々な話題に考えを述べるJIROさんがこの話題を取り上げないわけがない。リンクしなかったのは、他の人の例を引き合いに出しているところに少々疑問視したところがあるから。でもそれはJIROさんなりの理由があるからで、やっぱりJIROさんの文章もリンクしておきたい。

「さくらちゃんを救う会」難病女児の募金に批判/臓器移植:みらいちゃん 来月中旬に渡米(JIROの独断的日記ココログ版)

 日本ではかなわない臓器移植のために募金活動を行う人々。この方々のこと、この行動、いろいろな人はいろいろに言うことはできると思う。ただ、その立場というものに想像と共感をどこまでもてるか。どこまで「他人事」の線を引かないか。そんなことはわたしにとっては大きいと思う。どんなポイントをどうつつくか、なんてことはあると思う。ただそこには試験の模範解答のようなものではなく、そこには人生というものがあるんだと思う。
 kumiさんから受信したトラックバックエントリのひとつ前の、彼女のこの話題の元文書の方に、「ここはあんまり関係ないんで、飛ばしていいよ」と前置きされて出てきた文章。これがわたしはおもしろかった。彼女が他人事の線を引かない理由がそこにはあるのだと思った。残念ながら彼女の出した二つの映画をわたしは知らなかった。彼女の先達に従って、レンタル屋でさがしてみようと思った。