リツエアクベバ

satomies’s diary

2006年が終わる

 明日書ける時間があるかどうかわからんので、今日書く。いや、明日も書くかもわからんが、いやどうかな。
 2006年、はてダにどっぷりの年になったと思う。1月に姑が急逝。住居は別とはいえ、すぐそばに住むいわゆる長男の嫁ってヤツでどたばただったけれど、大事な人を亡くして精神的によろよろしていた日々。そこではてダに書き散らすことが自分の心の杖のようになっていたなあと思う。支えてくださった方々、本当にどうもありがとう。このときにたこぽんにweb上で見せてもらった絵本を、yas-toroさんがリンクもっていったのも、なんだかうれしいオマケの思い出。
 テンプレや編集画面等、自分にとってはぐちゃぐちゃとまとまらないままに書きやすかったはてな。ま、出しといてもいっかな的に使ってきたなあと思う。gooで言ったことの内側なんぞをはてダで書く、っていう方法も、自分ではなかなか新鮮でおもしろかった。
 gooから引きずってきた人間関係に加え、はてなの住人の方との接点ってヤツもいただいたと思う。これははてなブックマークというものの存在ってヤツが大きいと思う。gooだけのときにはあんまり開いてみる機会がなかったはてブの被クリップ。はてなだとRSSやダイアリーに被クリップ数が表示されるシステムになってから、はてダの被クリップに気づきやすくなった。
 クリップしていただく方に、いわゆるおなじみさんという方が目につくようになる。こういうよくクリップしてくださる方のブックマークは、閲覧に自分の関心がいくものが多いのだな、という発見。お気に入りに入れたり、お気に入り表示させなくてもこういう方のブックマークは時々閲覧に行く、おもしろい。
 はてなブックマークが生み出したご縁というものは、「うたバトン」の行き先に反映される。正午氏きをふしはてブから発見、ってヤツだし、にちのさんと、おほしさまの人は、10だかってクリップ数がついた同じエントリに目立つ反応をしてくださった方という共通項が実はあるのでした。このお二人の、ぽんとわたしに届いた目立つ反応ってヤツは、10をつけてくださった各ブックマーカーの方々が生み出してくれたご縁ってヤツかもしれない。
 gooのときは、こうした誰かにピックアップされて、という流れで生み出すものが、もっぱらニュースサイトを介してのものだったと思う。はてなはこんな風にはてなブックマークが縁を運んでいく運んでくるのだな、と思うのが感想。
 とはいえ、gooでいただいたニュースサイトの管理者の方との縁、というもの。これははてダでぶつぶつ書いても、やっぱり続くものだなとも思う。gooでよくやっていたように、はてダからもニュースサイトの管理者の方に何度か手を振る。ニュースサイトの被リンク経験から書くことができた「アクセスと顔」というエントリで、初めての「はてな投げ銭」というものをいただく。
 大量被ブクマってヤツも体験。「あの人キライ」と「小学生」と「犬」。これだけ閲覧を呼ぶのなら、もうちょっとこう書きゃよかった、ここ余計だったか、なんぞと後で思ったり。ま、そんなもん。「小学生」と「犬」は、流れのピークを過ぎても、じわっと来てるところがおもしろいと思う。
 gooでばたばたとしていた時にいただいたトラックバックのお礼を、やっと伝える。同じ時期にコメントを入れてくれたkumiさんは、gooでもいい味出していたけれど、はてなでぱーっと花が咲いたよう。そのkumiさんとのひっさびさの接点というものがあったのが「kumiさんからTB受信」。あの時のあのkumiさんのこだわりは、わたしのgooのばたばたのときにストレートにコメントを入れたkumiさんならでは、だとわたしは思う。gooで「交流」というエントリを以前出したけれど、見えない交流、いつか見える交流、なんてのの自分の中の一例。
 見えない交流が見える交流になった方が、実はもうお一人。この方もまあ偶然のようにはてなの住人。見えない交流のニアミスのような出来事のときは、あれはわたしが自分で言うことではなかったので「見えない交流」にとどめたけれど、別のきっかけで見える交流が生まれる。続けてればこうやって、わざとらしくない接点がいつか生まれるものだと思う。
 はてなブックマークの被お気に入りというヤツ。わたしにとってのはてなブックマークは自分にとっての資料、栞以上の意味はあまり持たず、まあこつこつ自分のために、という類のもの。誰のとこにお気に入り表示されているのかよく知らないのだけれど、時々ブックマークをたどってふとその方のお気に入りを開いたときに(わ!)と驚くことがあります。被お気に入りにしてくださってる方々にありがとう。
 と、いうことで、2006年、本当にありがとうございました。明日はいよいよ大晦日です。