リツエアクベバ

satomies’s diary

移植アレコレ

 「僕は生体肝移植者なんです。」
 わたしが勉強する場として選んだところで出会った20代の男の子。その一言を聞いた場所、彼の立ち位置とわたしの立っていた位置、彼の表情。その全てがわたしの記憶にひとつの情景としてしっかりと刻まれている。
 当事者としてのカウンセリング活動をしているのだと言った彼。わたしがその「当事者」の指す立場を聞いたときに返ってきた答えだった。
 「生体肝移植者」という言葉がわからなかった。彼が何を言ったのか、わたしはわからなかった。どんな言い方で聞いたのか忘れてしまったけれど、わたしはわからない、と言った。彼は、これまたどんな言い方で説明してくれたのか忘れてしまったのだけれど、ちょこっと微笑んで、それから、父親の肝臓の一部が自分に移植され、そして命が続くことになった「移植された人だ」と説明してくれた。
 え〜〜〜〜〜、っとわたしは驚いた。生体肝移植といえば、’89年に日本で初めて行われ、連日の報道で命を見守られて亡くなった男の子のことしか知らない。*1そして周囲の努力の中、亡くなったということしか知らなかった。
 死んじゃったよね、あの子死んじゃったよね、と、半ば混乱でパニクってるわたしに、彼はやはり微笑みながら、すでに日本で成功例をたくさん積み重ねている手術なのだと言った。僕は京大で受けた、と付け加えながら。変な感想なんだけれど、ああこの人は生きているんだ、と、不思議な感動につつまれたことを覚えている。
 「もっと知りたいの、教えてくれる?」
 トリオ・ジャパンのリーフレット、参考になる書籍のメモ、そして手渡してくれた二冊の書籍。「医師との対話―これからの移植医療を考えるために」と、「透析か移植か―生体腎移植の精神医学的問題*2移植という医療と、それをとりまく心の問題。ばくばくと吸収するように読む。
 「わたしは自分がドナーになることには抵抗があるの。」
 いいんですよ、と彼が答える。ドナーになるかならないか、ということではないんだ問題は。知る、考える、ということ。個人が自分がドナーになるかならないか、ということだけではない問題というのがたくさんあるのだし、全ては知ること、考えることから始まるのだと思う、と。
 予習をして授業を受ける学生のように、あっという間に二冊を読んだわたしは彼を質問責めにする。彼は質問責めにていねいに答え、「医師との対話」は返さなくてもいいと言った。
 これが7年だか8年だか前のこと。たくさんの人の人生がぎっしりつまったこの本は、346ページ。この346ページには、通常の346ページの本の文字数を大幅に超えていると思う。段組の箇所が多いしね。ちなみにアマゾンでの商品説明は200ページまで。後の146ページはトリオ・ジャパンで行われたセミナーの記録。移植医療に関わる医師と、トリオ・ジャパンで活動される方々と、そして移植が必要な子どもを抱えた親たちの声が詳細に記録されている。
 Leftyさんからトラックバック受信。

分かってないし分からないんですが /あれとかこれとか(Lefty)

 海外での移植を希望する人、こういう人たちはここから突然人生が始まるわけではなくて、その事態に遭遇するまでは、たいがいにおいて「実際そういう経験はないし、現場(?)を知っているわけでもないわけで…。」という人たち。まさか自分が…、というところからの出発。前述の「医師との対話」という書籍の中には、そういう人たちの声がたくさんある。
 それゆえの葛藤、というものは大きいと思う。ただこの本を読む限り。生の可能性に絶望しているときに医師から「海外なら」という話が出る。あきらめるかあきらめないかという大きな葛藤。そこで課題に挑戦していく人がいるということなんだと思う、募金活動というものも含めて。
 「移植を受ける『わがまま』」は、移植後の第二の人生を誰かのために貢献できる人生に。「絶望の中で死を待つより、希望の中で死を待ちたい」。
 簡単に説明できる本ではないけれど、この二つは象徴的にわたしの記憶に刻まれている。今夜は再びこの本にどっぷり。

*1:このことに関しては、コレが大きくおすすめできるリンクだと思う「16年前の今日(11月13日)日本で初めての生体肝移植が行われました。/JIROの独断的日記ココログ版」。

*2:この本は、家族間の腎移植に関しての「心の問題」に焦点があてられていて、特にきょうだい間の問題が心に残る。その感想を伝えることで、この男の子の「自分自身のきょうだい関係の問題」を聞くきっかけにもなった。