リツエアクベバ

satomies’s diary

また受験

息子が高校受験に向かっている頃、いろいろたくさんドキドキしてた。落ち着かない思いを書きなぐってはドキドキしてた。

2010-01-21更新分
志望校を選ぶってとこで、選ばなきゃならんから選ぶみたいなとことか、学力とか偏差値とかで塾にアドバイスされてこれとかこれとかどれ選ぶ?みたいな選択が多い中で、この子の志望校ははっきりきっぱりと決まってる。そして、「無理め?」から「目標にできる?」、そして「ギリギリ?」から「もしかしたら?」と変わっていったというか。

合格、わーお、と、受験後新規に契約したiPhoneのメアドに受験番号を仕込んで使ってるとか本人に多大な影響を与えた高校受験後スタートした高校生活も、あと少しで半分を過ぎる。早いね。
高2になってから本人の希望にて個別指導の塾に通い始めました。入塾前の面談の時に、面談室に高校受験のための資料があり。それを目にした途端に先方にお願い、去年の資料で知りたいことがあると。塾が資料を出し業者が作成しているその受験資料では、まあおおまかなところで「どのくらいの順位で合格していたのか」が推測できるわけです。その資料で彼の当時の現実を確認し、母と息子で「おおおおお」と思わず声が出た。「あっぶね〜〜〜」。ギリ、ケツから数えた方が早いような状況だった。
「それがね」「ここまで来たね」と、本人ヒジョーに偉そうな顔をしてる。夏休み前の三者面談の時、各教科の成績と順位を書いた紙を渡された。それ見て母の口から出た言葉は「かっけ〜〜〜」、いやトップになってる教科が複数あったもんで。まあこんな経験初めてよ、うっひょー。いやしかし定期テストで満点とか満点とか取ってればそりゃトップだろう。しかしすげーな、と、思うよ思う。
「でもこの内容じゃダメだ」と、本人難しそうな顔でおっしゃる。もっと、もっと上を、ということなんだそうだ。で、個別指導の塾。担当してもらっている講師の方は二名、いずれも大学生。通い始めて思ったのは、この子は個別指導が合っているんだなということ。また、姉と変わらないような年齢の男の子に指導を受けている状況を見ながら、この子が得られなかったきょうだい関係の疑似体験を得られることになるのかも、とも母は思う。
最近、息子とよく話すこと、「育て方」という話。キミの発達はけっこうヤバかった。キミの小学校入学時の「就学前検診」では、横浜市では知能テストを実施されていなかったけれど。それがあったらあの時点でのIQはかなりヤバかったと思う。(この子はヤバい。この子の自尊心を育てていくために、この子の能力を肯定して肯定して育てよう)、そう思ってやってきた。中学に入って塾に入れて最初の面談の時に、実力テストの国語の解答用紙を見せられながら「このお子さんには公立高校受験は無理です」と。そう言われながら見せられた解答用紙を見て、「まあこんなに空欄が無い。こんなに頑張って解答しようとしたんですね、あの子は。まあすごいわ、本当に頑張ったんだわ」と言ってました。塾の先生はちょっとため息をついてから、「まあ、そこからやっていきましょう」と。この時確か10点とかそこらだったと思う、100点満点で。そうやってキミは肯定して肯定して育ててきたんだよ、と。
それがまあ、ねえ。キミは本当にエラいと思うわ。いやマジ、わたしは尊敬する。こんなにカメで生まれたら、わたしだったらもっとカメであることに甘んじてカメであり続けたと思う。このカメの真面目さと努力はホントすごいと思う。着実に着実に前に前に進んできた。結果がすぐに見えなくても結果が見えることがわからないような時からも。
と、そうやってやっぱりまた「肯定」してしまうのだけれど。本人が次の受験に向かって立てている目標は、肯定だけじゃ追いつかない。ドラマ性ばんばんで入学した夢の第一志望校だけれど、「アンタの学校程度で一番だって、世の中から見ればなんぼのもんでもありゃしない」とか言わなきゃならない。しかし長年肯定一本でやってきたから、否定しつつの上手い言い方など知りゃしない。「やったことないからわからんし、知りゃしない」とため息つくと、くすくすと笑う。肯定して肯定して育ててきた、ってことが、半分大人の年齢の今、とてもよくわかるそうだ。ただ、それは支えであって、自分の中の自分の否定が消えるわけじゃない。ああそうだね、と、彼が頑張れば頑張るほど、彼の根底のコンプレックスが見えてくるように思えることは確かにあった。
否定の仕方をあんまりやってないから、イラッとしたまんまとかなんとか下手くそにしかできないと思う。と、ぐちゃぐちゃとなりそうな状況を先に告白して許しをもらっておこうという甘えを堂々と出せるほどに、ちっちゃな坊やは頼もしげなにーちゃんになった。わかってるからだいじょうぶだと、ホントにわかってんのかわかってるつもりでしかないんじゃねーかと時々程度にはどきどきする。オメー、数学ばっかやってりゃいいってもんじゃねーんだぞおおお、とかなんとかなんとかなんとかなんとか。でもまあ、もう半大人だし、伸びる道程を歩んできたのは本人だし、あなたの人生はあなたのままに。というところですかね。
なんてことで、次の受験もまたジャンプするらしい。今度は一般的に言っても高い目標となる大学を志望なので、そこそこ失敗しても行けるとこはありそうだしまあいいや。とかってとこで、実は気になってるのはうちの坊やと同じ高校に通う一個上の男の子。ネット上で息子の高校の情報での検索してたら偶然ヒットしたはてダがあった、それがその子の「日記」。非常にはっきりとした目標をもっており、そして大学受験の志望校は国立大学。坊やの高校からいえば破格の優等生で職員室でも話題だろう。いやでも、自分の関心から志望校をはっきりと定め、それがたまたま国立のそこそこ難関であったと。そこに向かうために早めに努力を開始しながら、ヒジョーにさわやかないい子なんだ。
この子が数ヶ月前に、辛い心情を吐露したことがあった。自分の目標ははっきりしている。しかし周囲の期待からのプレッシャーに押しつぶされそうだと。
ううむと悩んだ末にコメント入れ。ただリアル生活で誰がどうどこでつながってるかわからんもので、はてなからログアウトしてID入れずにコメント。偶然見つけた「あなたの高校の一年下の子のかーちゃんですよおと自己紹介を簡単に入れてもそもそなんぞ入れてから。

わたしが息子本人にも言ったことをあなたにも。
「どこに行くかとか、どこに受かるかってことが一番大事なことじゃないんだ。一番大事なことは、全ての経過なんだ。自分で決めて、自分で考えて、自分に向かってチャレンジして。その経験の全てが、大人になっていくレール上の大切な宝になることが大事なんだ」。
そのことを、何よりもあなた自身が忘れないでいてください。
こんなにも期待に恐怖を感じる自分と出会ってしまうのも、また経験の中の1つ。あなたの歩む道にGood Luck!!!

ま、そーいうことだと思うんですよね。ちなみにこの男の子はどかんと元気になって、次エントリに志望大学と学部名を書いて「もう立ち止まらない 絶対合格します」と決意表明。かっこよかった。年明けての受験シーズンは、この子を思って日々ドキドキになるんだろう。受験の神様に是非微笑んでいただきたい。
ちなみに息子にはこの男の子の存在もブログもかーちゃんのコメントも見せました。コメント入れたくなったかーちゃんの気持ちとそのコメント内容に関して、しっかと理解してくれたようです。さすがつきあい、長いね!