リツエアクベバ

satomies’s diary

子どもの作品

思い立って、ダイソーに行った。フレームを買おうと思って。

キッチンの修復工事から、わたしの中に断捨離ブームが再来している。いわゆる片付けとか断捨離とかは。そこにあったものを一度全部出して、いるもの、いらないもの、使う頻度は低いがまだ捨てないもの、に分別していくという作業がある。
その、「一度全部出して」をキッチンの水漏れでやった。自ずと断捨離、いくよなと。
そしてその目線で見る場所、がターゲットになる。

片付けていたら、たぶん、とりあえず取っておこうと思ったのだろうと出てきたのが、息子の習字の作品だった。習字というより書道?いやそんなたいしたものでもない。
高校の時に、芸術選択に書道をとった。別にたいした理由もなく、音楽にも美術にも興味が向かなかっただけのことだ。

何を書いたのかも知らない。特にどんなことをやっていたのかも知らぬ。ただ、今日取り出したものは。彼が部屋を片付けて、いらない捨てると言ったものを「くれ」と言ってもらっただけだ。

書道というか、半紙に小筆で好きなことを書かせた紙で。赤い名前のハンコが押してある。生意気に落款印。

自分で考えてなんか書け、というものだったと思う。もっともらしい思ったこと、みたいなことが書かれているが。ちょっと笑えるのが、BUMPの歌詞くさいこと。
高校受験の塾にいく送迎の車の中で、わたしからやたらBUMPを聞かされていたこと。高校に入って部活で仲良くなった友達がBUMP好きで、歌詞についてこの子から熱く語られたりしていたこと。あたりで、なんかそれらしいことを書かなきゃならなくなったときに、絞り出した言葉にBUMP臭がついたんだろうと思う。

なんか思いついた言葉を書かされるということが、彼にとっては苦行だったんだろうなと思う。
作文だの絵だの、とにかくクリエイティブな「産み出す」ということが苦手な子だったなあと思う。

BUMPは聴いてはいたけれど、この子は特にBUMPが好きということでもない。ただ、そのBUMP臭のする文字列の中に本人が高校生になったという思いは見える。適当に絞り出したのだろうが、その背景はわかるよと思う。彼にとって高校受験は大きなハードルで、そこを超えて今があるみたいなこと。そのあたりは見えてくる。

本人にとってはいらないものではあるが。わたしにとっては、そんな、彼自身がよく見える一枚なのであって。わたしが見ていた子どもの姿の写真のようなものだ。

とは言っても、大げさによいフレームを買うでもなく。ダイソーの簡易で充分だろうと。A3のフレームを買ってきたら、少しだけはみ出したので少しだけ周囲を折って入れた。
ふむ、満足。