リツエアクベバ

satomies’s diary

コメントからもろもろ

3月18日更新分に「shishitouさん」というはてなIDの方からコメントあり。いろいろと興味深いコメントだった。
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20100318/p1#c1269269260
ここからまずコレ。

兄弟姉妹よりも、母親を自分の友達に会わせるのが気恥ずかしいという年代だったなあというのがまず一番大きかったです。「自立していることがかっこいい」が主流になる時期なので、親に干渉されているように見られると恥ずかしいという雰囲気がありました。

自分はどうだっただろうと思う。思って思い出すと、姉がこの傾向が非常に顕著になった時期があった記憶の方が強い。母と姉と三人で出かけたときに母が言った「あの子、離れて歩くのよ」。確かに母とはけっして並んで歩かなかった。友達に会う会わせるのも嫌がった。中学生から高校生の時期だったようにも思う。わたしはといえば、それを見てるだけだったようにも思う。同性二番目というのは、たいして視線がこっちには来ない。見ようが見まいが見せようが見られようが、あんまりどうのと思った覚えが自分には無い。たいがいにおいて好き勝手できる立場だったというところは大きいかもしれない。
その後20代になって姉が外国に住むようになり、家の中でいわゆる「一人っ子状態」になったときになんだか風向きが変わった。こっちももう子どもの年齢じゃないのに、なんだか親の視線がこっちに来る感じ、なんだこりゃ。親の視線というものはこんなにもめんどくさいものか、と思った。正直こりゃたまらんな、と思った。たいして干渉を受けた記憶が無いもんだから、なんだこりゃ、慣れねーもんがこっちに来るぞみたいな感じだった。確かにこりゃ、ムキってやんなきゃよけられねーぞ、とか思った。まあこっちは既に思春期時期なんてものは越えていたから、かーちゃんに「おいおい、なんか一人っ子になったみたいだぞ?」と言うと、「あ、あ、あ、わかるわかる、そんな感じ」と笑い話で済んでしまったとこはあったと思う。第一子が歩む道を疑似体験したみたいな感じだった。
自分が子どもの立場ではなく、親の立場に立つようになって。この“「自立していることがかっこいい」が主流になる時期”ってのが、娘にとって小学校の高学年から中学時代だった。ほう、そんな時期が来たか、と思った。知的障害があろうとなんだろうと、そういう心的成長には関係ないのかと、ちょっと小気味よくおもしろかった。
授業参観なんて機会にゃ、こっちはちらりと一瞥くわせるだけで、人んちのかーちゃんにはめちゃめちゃ愛想がいい。加えてどこかに出かけるときに、並んで歩いてくれなくなった。手をつなぐなんてのはもってのほかという感じ。移動のときは、ちらっとわたしを見て右とか左とか行く方向を指示させて、あとはとっとこと「アタシはアタシの道を行く」モード全開だった。電車に乗るときは、すすすと離れて座られてしまう。隣に座るってことを拒否。降りる駅で促されるのがイヤで、降りる駅に関しては自分で降りると判断したい。ちらりとこちらを見る目線から、お嬢様にお渡しすべき情報をささっとお渡ししなければなりません状態だった。ちょっとつんとした感じというのが、姉が母から離れて歩きたがった時の表情と似ていて、なんだか懐かしかった。
この“「自立していることがかっこいい」が主流になる時期”に、娘が培った力は果てしなく大きかったと思う。言われるやらされる指示されるから「アタシが決める」モードを守るために、周囲からの情報収集能力が格段に上がった。電車に乗るときは、降りるべき駅名を一言伝えるだけ。車内アナウンスにその駅名が出てくるとすっと降りるモードになることが彼女の中で徹底された。「アタシはアタシの道を行く」モードで彼女がつけた自信もとても大きかったと思う。彼女のプライドの形成には知的障害は関係無かった。その知的障害に配慮し過ぎて彼女のプライド形成を邪魔するようなことをしなければいい、という感じだった。知的障害に配慮した情報提供をするべきだという、彼女が自分で決めた姿勢に従えばよかった。かっこよくておもしろかった。どんな風に配慮した情報を渡せば、どんな風にこの子が進んでいくのか。そんなところも見ていておもしろかった。知的障害をもつ者の尊厳みたいなものを、この時期の娘からずいぶん教わったようにも思う。
彼女にとって、自分の成長の主役は彼女であると、そういう主張をわかりやすくしてくる子だったということは、わたしにとってはラッキーだったのかもしれないとも思う。このあたりは知的障害のレベルよりも本人の個性やキャラが大きく関係しているところでもあると思う。
へえと思うのは、この時期が終わったということ。気づいてみたら、今は並んで歩く。腕を組んだりとべたべたして歩いたりする。電車に乗ってもむやみに離れない。移動中にちらりとわたしを見る目線みたいなものも、格段に柔らかくなった。ただ、あの突っ張ってた時期に付けた能力は消えないし変わらない。おもしろいものだと思う。
それと、おもしろかったのがこの文章。

高校生男子の会話としては兄弟姉妹の話は確かに殆どありませんでした。同じ学校に居るというのでも無い限り。せいぜい、どこどこの某の武勇伝やら都市伝説的な話題の延長線上にぽっと出てくる程度でした。

この「どこどこの某の武勇伝やら都市伝説的な話題の延長線上にぽっと出てくる程度」ってのが、ものすごくおもしろかった。コレ、相当な勘違いをしてるのでなければ要するにアレでしょ?アレ。「友達が言ってたんだけど、こうなんだってさ」「友達の友達が言ってたんだけど」「誰とかのにーちゃんの知り合いがどうで」とか「アイツの妹の友達がどうの」とかって話のことなんではないかと。で、こういうのを一言ですっきり言うと「どこどこの某の武勇伝やら都市伝説的な話題の延長線上にぽっと出てくる程度」ってフレーズになるんだなあと、まあなんて知的な表現でしょうとちょびっと感動した。かっこいいなと思った。
で、もういっちょコレ。

身内のことが話題に上るのは、割と(本人にとっては)真剣な相談ごとのときですね。それも自分では解決できないような漠然とした不安や悩みというか。何となく、世の中ってこんなもの?と思想的だったり哲学的だったりするような。クラスメートの親御さんが亡くなり、そのお通夜にいった帰り道、男同士で語り合ったことを覚えています。気の毒な気持ちはあるのだけど、でも身内を亡くすことの辛さを理解できる訳じゃないから、涙は流せないんだよな、これって薄情なのかなあとか、そんな話をしていました。相手がどうこうじゃなくて、それに対してこんな感情を抱く自分は異常だろうかという不安を抱えた時期でもありました。

高一の時に友人のお母様が亡くなられた。夏休みだった。告別式に行った。友人が喪主であるお父様の隣に座ってた。割と大きなお寺だったような覚えがあって、お焼香をした後、その友人の姿はけっこう遠くの位置にあった。友人を見る、背伸びをして見る、そんな感じの状態の中、ふと我に返るというか、わたしはなぜ背伸びなんてして彼女の姿を眺めようとしているのだろう。なぜ自分はまたクラスメートたちはこうやって背伸びをして友人を眺めるのだろうと、それがイヤでしょうがなかった。ものすごくイヤで、下を向いて唇を噛んで、自分が背伸びをしたことをものすごく恥じた。自分のことをものすごく醜いと思った。
この友人とは30を過ぎてから話す機会があり、当時の話も話題に出た。その頃にはお父様も亡くなられていて、両親を失うという経験の話を非常に素直に聞くことができた。その経験の中で彼女が何を感じ、何を失って何を得たのか。そんな話が非常に興味深く、また彼女に会う機会が無くなってずいぶんと歳月は経ったけれど、彼女の話からわたしが感じたことは、なんかこう、心身ともにずっしりと自分の中に影響を与えているなあとも思う。自分が母親を亡くしたときに、また思い出すのだろうとも思う。