リツエアクベバ

satomies’s diary

息子の進学と娘のこと

二人の卒業式が終わり、二人とも長い春休みに入る。娘が「がっこう?」と聞いてくるとどきどきする。この子は「卒業」をどこまで理解しているのかと思う。1月過ぎから「2月はがっこうにいきます。3月でがっこうはおしまいです。4月からは○○にいきます」と機会を作って繰り返し教えてきたけれど、どこまで理解できているものかとの不安が残っていることが、このどきどきのベースだと思う。
娘の「がっこう?」という質問に、ある日、ああこういうことなのか、と思うことがあった。娘が「がっこう?」と聞く。「アイツは高校に行くんだよ」と答えると、なんだか納得した顔をする。自分が「そつぎょうしき」に出たように、弟も中学の卒業式があったことを理解している。自分が「4月からは○○に行きます」と理解しているように、では弟は4月からどこに行くのか?と思っているらしい。
あらま。そういやアンタをすっかり置いてきぼりにしてたねえ、と思う。だって当の本人だって2月の終わりまでわからなかったんだから、そりゃしょうがあるまいだろうよ。
ってなことで。「ちぃちゃんが『がっこう?』って聞くのは、どうやらアンタの行き先らしいよ」と、ごそごそと秋にもらった学校パンフをもってくる。ページを繰って写真を見せながら「ちぃちゃん、この子はね、4月からはこの学校に行くんだよ」。
娘、にこにこ。そうか、やっぱりそういうことだったんだな、と思う。「コレ!」とパンフの中の部活の活動風景の写真を指す。そうだね、部活の試合を見に行ったもんね。
息子と話す。アンタはこれから、アンタの姉について全く知らん人間関係の中に出ていく。知的障害をもつきょうだいがいるということについて、わたしは全く経験が無いので教えて欲しい。ぶっちゃけ、どういう風に思うもんなのかね?
具体的な問いかけに関して答えていったものをまとめるとこんな感じ。小学校のときは、交流教育によりみんなが知ってたので特になんということも無し。誰かに何か言われた経験も無し。中学に進んだときは、別の小学校から来る人間は知らないということを意識したこともあったけれど、たいした意識でもなく忘れていたところもあった。実際、うちに遊びに来る約束をしたときに、そのメンツに別の小学校からの子がいたということを忘れていた。要するに、そういう「ちょっと特別的?」みたいなとこを自分で意識すれば意識はあるけれど、自分にとっては当たり前過ぎて大半の日常において忘れてしまっているということらしい。
ではではではさ、これからってとこなんだけど。アンタにとっては全く新しい人間関係がこれから始まるわけで、しかも「ウチに遊びに来ます」なんて立地ではなくなるし、アンタのねーちゃんのことってのは自分から話さない限り特に相手に知られることでも無いわけだ。その辺ってどう思う?
「あー、どうなんだろう」と息子が答える。人間関係が全く始まってない中で、どうにもどう考えるのかもよくわからんらしい。「わたしは写真を見せてアンタの学校をちぃに見せるけれども。この子に学祭を見せたい感覚もあるんだよ。でもアンタがイヤなら連れては行かない。わりーが秋までにその辺、考えておいてくれ」。
「わかった」と息子が答える。ふむ、と答えながら付け加える。まあ普通の高校よりは環境良さそうだけどね。
この子の選んだ学校は総合学科高校。一年の選択科目の中に「社会福祉基礎」という科目がある学校で、一年のときに全員が社会を知る目的でなんらかの福祉施設を訪問する学校だ。前年度は5つの特別支援学校と14の地域作業所に合計100名近くの生徒が事前指導を受けて訪問している。普通科の高校よりは吉と出る可能性はアリとも思う。ちなみに息子はこの学校を志望校とした理由に沿った選択科目に興味があり、この学校での福祉系は全く興味をもってないそうです。オマケみたいなもんらしい。