リツエアクベバ

satomies’s diary

合格者説明会

高校の合格者説明会が公私立ともに始まっている。いろいろな人のいろいろな学校の話を聞き、ふむふむ。「合格者説明会」という名称にもふむふむ。入学説明会という名称では、夏から秋にかけて何度も行われる学校説明会と紛らわしいかららしい。
私立に関しては、修学旅行に関する費用の積み立てとか、なんとかのお金とか、かかっていくお金の説明にどきどきになるらしいが、土曜日の授業だの春期夏期の講習だのと「塾みたい」という感想も。公立行かせて塾や予備校に行かせること考えたらとんとん、っていうのも確かにアリだなとも思う。
息子の進学する高校の合格者説明会に出席。学校説明会では「ウチはAO入試に強い」という話が出たけれど、合格者説明会では「学力考査の無いAO入試が3年後にどこまで残っているか保証は無いよ」とのお話。「神奈川の高校入試の前期選抜のように大学受験を考えていたら、3年後にはどうなっているかわからんよ。自分の進路を見つめてしっかり勉強するように」とのこと。ふむふむ。前期失敗から後期選抜での合格になった息子は、このあたりの説明でスイッチが入る。自分が行きたい大学の受験をすでに調べていて、苦手の国社を省いて得意の英数理で受けられるということがわかっているのでなんか俄然やる気モード。
説明会でいろんな先生が出てきているのを見ながら、ねえ、と息子に言う。あのさ、学校ってのは普通の先生がいるところだからね。もうあんな変なのはいないからね、普通は。普通はあんな変なのはいないところなんだからね。その辺、よろしくね。
「あんな変なの」ってのは、中1中3と二回担任だったあの熱血。中学の入学式当日に目が点になったあの熱血。息子はあの熱血が大好きで、あの熱血と仲良しで、あの熱血に支えられて伸びたところは大きい。ねえ、もうあんなのはいないんだよ、そこんとこヨロシクね。
「いや、いるよ。いるかもしれないじゃん」と答える息子。いや、あそこまで変なのはそういないって。あんなのがいるのはアンタんとこのあの中学とテレビくらいだって。普通は学校ってとこにあんなのはそうそういないって、そう思ってないとヤバいよ、アンタにとってはアイツがいるところが「学校」だったんだから、その辺スイッチ変えといた方がいいんじゃない?
いやしかし。コイツの中学時代は本当に恵まれていたんだなあと改めて思う。あの熱血だけじゃない。この子の学年の学年主任は、入学した年の5月の連休明けには200名を越える学年全ての子どもの顔と名前が一致していたという話で、実際、子どもの個性に合わせた個人宛のメッセージを生徒向けの学年だよりに添えて渡し始めたのは5月の連休明けからだった。学年の教室が並ぶフロアの踊り場のところに常に椅子を用意して、休み時間ごとにそこに陣取っていつも学年の生徒の様子を見てた。いつでもどんなことでも学年主任に言ってよくて、そしてこの学年主任と接点を持ちたがる子は多かった。
高校の合格者説明会で新入生に説明している教師の顔と、説明会に出席するかなりの数の生徒を眺めながら思う。「生徒が自分を知っているのは当たり前かもしれないが、自分が生徒全員を知っているわけではない」、この先生はそう思ってるだろうなあ、そういう環境になるんだろうなあ、あの学年主任が普通じゃなかったんだよなあと。そういうことになるのが全くもって普通のことだと思うし、あの中学の時の環境を他の学校で希望すること自体、多分無理な話だろう。わたしはそれがわかっているけれど、あの環境で育った子たちはどこまでそれがわかるんだろうか、と思う。
改めて、あの学年主任の最後のメッセージを思い出す。これから新しい生活に向かっていくときに、「○○中はよかった」というネガティブなことはけして思ってはいけない。自ら道を切り開いて新しい生活に向かっていきなさい、と。
まあそういうことなんだろうな、と思う。個性を信頼されるというベースで育ったものはこれからも生きていくだろうし、中学は中学、高校は高校としての色合いも変わるだろう。私学中高一貫で育った自分には、そういうことも新鮮なところなのかもしれない。