リツエアクベバ

satomies’s diary

ふうむ

いろいろな家庭でいろいろな考えがあるのだろうけれど。わたしはやっぱり特別支援学校の入学を希望した親なんだなあと思った。すとんと落ちたのがここだったから。

障害者と社会- ケミストの日常

小学校の選択基準と中学校の選択基準は違うんじゃないか、と思ってた、娘の中学進学のときに。地域で育つ子どもから、思春期へと向かう。
普通の学校の先生にいろいろな先生がいるように、特別支援学校にもいろいろな先生がいる。一口にどうとは言えないけれど、長いスパンで本人の人生を考えるときに、本人がもっている障害を当たり前にとらえてがしっとタッグを組んでくれる先生がいるのは特別支援学校なんじゃないかと思う。って言うよりも、普通の学校にそういう先生がいたら「美談」だけれど、特別支援学校の先生はそういう要素が要求されている立場なんじゃないかとも思う。
小学校と中学校は選択基準が違うと思うこと。本人が思春期に入っていく中で、しっかり自分のもっているカードを見据えて自分の将来を考えて欲しいと思うところがある。アンタのもつハンディを解決するためのこと、そういうことをわたしも一生懸命考える。でもアンタはアンタの障害と共にやっていくってことを考えなさい、って。わたしの「親」としての感覚はこっちに動く。
それと。わたしが弱虫なのかもしれないけれど。ケガをするかもしれない構造の学校はわたしは怖い。ケガをしたときに誰に責任があろうとなかろうと、自分の子が痛い思いをするのにかわりはないんだもの、と思ってしまう。いや、ケガをしたときに、そこを選んだ選ばせた自責の念ももつだろうと思ってしまう。わたしは怖い。
もしも自分の子が、知的障害の無いタイプの障害をもつ子だったら。大学進学の意志を早めに確認しなきゃと思う。本人の希望する学科、肢体不自由がある生徒を学生にもつ実績のある学校、調べなきゃいけないこと準備しなきゃいけないことは多そうだ。そのための進学先って選択肢になるかもしれない。

CiNii - 肢体不自由養護学校の教育課程と大学進学状況に関する調査

おお、以前はてなでもブログ書いてらした障害学のあの方は、養護学校中学部から県立高校に進学されていることをサイトにて確認。養護学校中学部、県立高校、大学、大学院。そういう道もあるんだな。
でも本当は。知的な障害が無くて肢体不自由があるタイプの子で大学進学の意志を持っているんだったら、日本の大学よりバークレーに留学して欲しいな。ミーハーだな。