リツエアクベバ

satomies’s diary

合否発表の日3

電話を終えて、私立併願の受験料と公立後期出願の受験料を振り込みに行った。書類は自分で持たせた。
車の中で「昼飯、何食おうか」とか言ってて。「マック」って言うから、いや今日はあそこはやめようよって。パートに下級生の子のかーちゃんがいるから。なんか今日、知ってる人に会うのとか、アンタはイヤじゃないか?。「あ、そうか…」って言って、「うん、やめる」って言って。モードが変わっても、傷ついていることには変わりはない。
銀行に行って、息子本人が書類を出した。手続き待ってる間に、そうか…とか思った。今日コレとコレを振り込むってことは、それは前期失敗しましたって申告してるようなものなんだな、と。この子が越えなきゃいけないものはたくさんあるんだな、と思った。それでも、この子本人がこうやって自分で書類を出すってことは、やっぱりそれは意味があることなんじゃないか、とか思った。
手続きが終わって、呼ばれて窓口に二人で並んで立つ。わたしより少しくらいか年輩の銀行の女性が息子に控えの用紙を渡しながら「頑張ってくださいね」って言った。息子が「はい」って答えた。すごくさりげなく、でも気持ちを込めて言ってくださったことがとてもよくわかって、わたしは胸にぐっと来た。そのぐっと来た感じを自分で見つめながら、ああわたしも傷ついているんだな、と思った。銀行の方にそっとお礼を言った。黙ってそっと微笑んでくれてうれしかった。
遅い昼飯は、モスバーガーを食った。食いながら、そうそうあのさ、と、息子が話し出した。「泣いてる子が何人もいたよ」と。校内だけではなく、高校から駅へ行く道の途中で立ち止まって泣いてる子もいたそうだ。そうか、つらかっただろうね。あそこの高校の面接は、単にその学校の志望動機から発展させて、自分の将来の希望や計画等を話さなければならない。この子もそうだけれど、それで「不合格」という文字を見るのは、自分自身が否定された気持ちにもなるだろう。内申や話し方等が一人一人違っていても、一人一人が持っている心の価値に優劣は無い。この子たちはまだたった15歳だ。
「保護者が来てたんだよ」、と息子が言う。へー。アマアマかーちゃんは行きたいのは山々だったが、我慢した。そうか、行った人もいたのかと思っていたら、息子はどんどん憤慨する顔になった。
「受かった受かったって、大声でいろんなとこに次々と電話かけてるんだよ、保護者だよ?」
そうかい、そうですかい。いや実はね、言ってたんだよこの子にはね。もしも合格していたときは、その報告の電話をかけるときは必ずその場を離れなさい、って。「なんで?」って聞くから、「そこにはどんな人たちがいる?」って。こういうことを伝えるのに、この子にはたくさんの言葉は要らない。「ああ、そうか」と。それで済んでいた話だった。
合否発表の場ってのは、そもそもそういう場なのだと思う。それでも、周囲にいるのは15歳の子どもたちだ。アマアマかーちゃんのわたしにとっては、周囲の15歳の子どもたちも、そのアマアマの対象だった。でもそうじゃない人ってのもいる。それだけのことだ。
「保護者だよ、保護者なんだよ、それやってるのは」。と、息子が憤慨した顔で言う。あのね。いろんな人がいて、いろんな育て方ってのがあるんだよ。合否発表の場ってのは、そもそもそういう場所なんだよ。それをはっきりわかった方がいいって、そういう人もいると思うよ。アンタはわたしに育てられてるから、その場を離れるのがベストだと思うんだよ。でも、一人の感覚は絶対じゃない。
でもさ、よーくわかったでしょ? わたしがさ、もしも受かってたらその報告をするのにその場を離れなさいって言った意味が。「うん」と、強くうなづく。いろんなことが肌で分かる日なんだなあと思う。
あのさ、「後期は絶対勝ってやる」って言ったでしょ? でもさ、本当に勝つってのはね、自分にやってくることとかどうしようもないこととかそういうことをさ、自分自身が自分の力でプラスに変えていくってことなんだよ。それはさ、どこの学校に行くとかってことを越えることなんだよ。
いや、真面目にそう思うんだけど。でも、後期の失敗に備えてってとこもあった。もしも失敗したときのために、本人が本人でまた立ち上がるための伏線は引いておいてやらなきゃなるまい、と思った。この子の人生は、まだまだこれからだ。