リツエアクベバ

satomies’s diary

あした

明日は神奈川県の公立高校入試前期選抜の合否発表がある。ああ、明日だね。一年経ったんだね、と、息子と話す。学校では明日のなんとかだとかなんだか忘れたが、今日は部活も無く帰りが早かった。帰りが早い息子とカウンターキッチンごしに話す、夕食の支度をしながら。
見に行ってはいけないと先生が言った。でも明日は合否発表の時刻の頃に教室移動がある。移動中に「見えちゃう」位置には行くらしい。ああ明日、アンタの学校では150人くらいの子が泣くんだね、あそこのあの場所で。前期選抜で合格して入学した子は、その光景を懐かしく思うのだろう。前期選抜で不合格を前に下を向いて校門を出た子は、そこからの長い一日を思い出すんだろうか。
挫折とは立ち上がることに意味があり、立ち上がる時に拾い上げていく収穫に成長がある。そんなことはわかっているんだけれど。明日、息子の高校のあの校門を入ったすぐ側の受付のところで150人くらいの15歳が、その挫折を受け入れなければならないんだ、とかなんとかと、芋だのなんだのを扱いながらわたしが言う。「150人」と口に出して言ってしまうと、その150人分の心の重さがわたしの胸にずしっとくる。
去年の経験から、前期選抜の不合格と後期選抜の合格を体験した息子が、自身の収穫だとか成長だとかが実感でわかっているようなとこにいる息子が、「いや」とわたしに言う。「その挫折には意味があるんだ」とかなんとか、もっともらしいことを言ってくる。ああそうだね、16年の人生の中でその実感は大きいだろう。でもね。
そんなことはそんなことはそんなことはわかってるんだ。そうだよ、その通りだよ。わたしはその、今アンタが手にしている「本当に大事なこと」をアンタが手にしていくまでを、はらはらしながら見守ったんだ。それは「本当に大事なこと」を手にしていくための大事な経験なんだ。
「でもね、でも。15歳の子が、たった15歳の子が、その中のけっこうな数の子にとってそれがとてもキツい事実になるってことには変わりはない。それが明日なんだよ。ああどうしよう、どきどきしてきた。かわいそうに、かわいそうに、ああ、がんばれよ」って。息子と話しながらそうやって口に出して言っていたら涙が出てきた。あら、なんだ、なんでわたしは顔を見たことも無い150人くらいの15歳のために泣いてんだ? ばかみたい。「いや前期選抜はお試し受験で受けるヤツも多いし、なめてかかってくるのもいるから、みんながみんな泣くわけじゃないから」って息子が言う。うんそうだねそうかもねとか答えながら(ばかみたいなかーちゃんへのクールダウンのためにうちわで仰ぐようなもんかもなあ、すまないなあ)とかも思う。
さて明日。明日、息子の学校では150人くらいの子が泣くのか。明日、神奈川県じゅうでは2万人くらいの中三が泣くのか。目の前に突き出された不合格という文字の前で、泣いても怒ってもふてくされても自嘲してふざけてもいいから、2万人の子たちよ、また立ち上がってがんばれよ。結果じゃないよ、人生を自覚的に自分のものにしていく経験が自分のものとして残っていくこと。明日の結果はその道の始まりだ、がんばれよ。