リツエアクベバ

satomies’s diary

秋の行楽

いいお天気なので、ぶらぶらと山の景色が見える公園へ。
「お出かけ行くよ」と娘に言うと、「あかいくるま?」と聞く。「そうだよ、あかいくるまでお出かけだよ」と答える。赤いキューブキュービックが我が家にやってきた初めての週末に出かけた公園。ちょうどその頃は梅が見頃だった。
広い園内をのったらのったらと歩く。遠目に桜が見える。桜? 桜なはずがないだろう。「秋の桜だったらコスモスだ」と言うと、夫が「コスモスって、アレは木じゃないか」と吹き出す。近くに行って確認したら冬桜って言うんだって。自分じゃ写真撮ってないのでGoogleの画像検索で。

冬桜-Goggle画像検索

のったらのったらと歩き回って、売店で缶コーヒー買って娘といっしょにベンチに座る。ぼーっとしながら目の前に広がる景色を眺める。ぼけー。娘といっしょにぼけー。
側の木の上からツクツクボウシが鳴き出した。ツクツクボウシの鳴き声をワンクール聞きながら、つるの剛士の蝉の鳴き真似を思い出す。ああホントに「ニオイ、ニオイ、ニオイーイ」って言うんだなとか。
そんなことを呆然と思っていると、娘がわたしを見て「せみ?」と聞く。「うん、蝉だね」と答える。娘が「せみ」ともう一度言って、ぼーっと木を見上げてる。
まあそんなもんで、そういう、この娘といっしょのぼけーっとした時間が、わたしは好きなんだなあと改めて実感する。なんかこう、ゆっくりいっしょに歩いて、ゆっくりいっしょにぼけーっとしてるってので、それでもってお天気のいい青空の下ならそれが自分のしあわせって感じなんだなと思う。
ただ。この、競争というものの世界に入ることができない子どもを、平穏なぼけーっとしたしあわせの中においてくれるもののひとつに、福祉というものの存在があるのだとも思う。この子を平和の中においてくれる施策のひとつひとつは始めからあったものではなく、全て先人の努力の上に立っているのだ、ということも思う。わたしは。このしあわせの感謝として、何にどんなことを返すことができるのだろうか。とも思う。