リツエアクベバ

satomies’s diary

感想もろもろ

 今日は午前中所用、午後からパソコンにて作業。作業の合間に記事上げして、ちょこちょことあっちこっち。そのあっちこっちの合間に、トラックバックをぽんと受信、ああおほしさまの人んとこからだ。とっとと行く。

実体験のかけらを集めて/東京横浜オーケストラ

 ああコレね。ふむふむと、一気に勢いでコメントを入れる。アレはなんか読んでて腹立ってきてたから。脊髄反射だっけ、その勢いでコメント書く。自分んちの子どもがプールでケツさわられて、それ子どもが言ってきてるってとこで、「あの人は障害者だから」なんてことを10歳かそこらの子どもに言ってどうのなんて、わたしには考えられない。そんなこと水着のケツさわられた子には全く関係ない。その全く関係ないってことを母親が思わなくてどうするよ、と思う。
 コレ、友人に言われたなら、女として裏切られた気持ちにだってなると思う。でも友人じゃない母親だ。子どもってのは母親は基本的に許すんだよね。
 本文中には「懇願」と出てきましたが、具体的な対応が見えないことに対して糾弾しなくてどうするよ、と思う。周囲も同じ。自分の生活圏内に起きたことでわたしの耳に入ったことだったら、わたしはどこまでも行くと思う。痴漢行為を続けられる状況が続くことは、本人にとっても不幸だと思う。
 ただ不思議なのは、スイミングクラブが放置したこと。相手側の利用を確保する前提で動いていること。これけっこう不自然だと思うのよね。スイミングクラブという商売上、お断りいただくのが普通だと思う。そう思うと、この話全体に不自然なとこが見えてきて、それはまあ匿名ダイアリーだから仕方がないかな、とも思う。
 ただこの匿名ダイアリーってのは、注目すべき話題展開があると、すぐにその話題ではてなが走る。波及していく流れの中で、個人ブログがいくつも動く、リンクやトラックバックを重ねながら。ブックマークやリンクでその流れをたどっていく。
 ああおもしろかった、ああ興味深かった。そしてけっこうな数の人が半月もすればこの話題は忘れるだろう。たどるはてブってのも、数時間の間に新しいクリップでページが変わるとこが多い。思考がどんな風に記載されていっても、そのブログのページは変わっていくだろう。
 変わらないこと、それはわたしは生きているということ。わたしは生きたその現在進行形の話題問題に、今日も明日も関わっていくだろうということ。4月からはさらに多忙になる予定。
 自分とこ、どどどんとはてブにクリップされるエントリが続いたけれど。生きているわたしにとって、全ては関連していることで。Lsty氏がからむ「思考停止」のこともそう。
 ああそうだ、と思って、自分の過去記事をさがす。

「差別」とその周辺/S嬢はてな

 Lsty氏にダメダメ言いたい人に、そのネタを提供できる過去ログかもしれない。だからなんだっていうんだと思う。正解なんぞの回答欄じゃない、そこにあるのはわたしと彼の対話なのだから。
 このエントリに出てくる、泣いて抗議してきたわたしの息子。わたしはあの日の彼の抗議に応え続けようとしているとも言えるのだと思う。
 そだそだ反応ってのは出たかな、と、開きっぱなしだったおほしさまの人のとこでF5キーを押して更新。新エントリがTB記事の上にぽんと出て、思わずぽかんとする。あれ、わたしどっち見てたんだっけ。いや、今見てた自分の過去エントリにLsty氏と「昔教室にいたあの子」の話があったから。そして更新したおほしさまの人んとこにも、そんな言い回しが出てくるわけで。

さておき、知的障害者も、コレと同じように出来ることが望ましいと考えた。つまり、母親が悪いとか、クラスのみんなが悪いとか、先生が悪いとか、政治家が悪いとか、そんなんじゃなくて、なんでみんなでかんがえられないの、ということなんだと思う。
障害者の壁崩壊 /東京横浜オーケストラ

 うんそだね、そうだよ、考える。考えるのを楽しんだだけでページを閉じた人も、いつかきっと思い出すかもしれない。ほんの少し、かけらだけを覚えていたのだとしても、またいつか思考が始まるのかもしれない。
 玉井邦夫氏が以前言ったこと。いろんな人に何度も何度もその話をすること。障害をもつ人ともたない人の間に壁はあるのだ。それは事実なのだ。そしてできることは、障害をもたない人をその壁の近くまで連れてくることだ、と。壁の近くに連れてきて、壁のそばに来たときに、そこで始まることがあるんだ、ってこと。
 壁があることに悲しまない。壁が一気に崩壊することに過度の期待ももたない。ただ、壁のそばにやってきた人たちに見える世界があるときに、少しずつ何かが変わるはずだと思う。
 今、一個一個のことに特にはっきりとした正答はいらない。今日すぐに出てくる正答ってのは、明日崩壊するのかもしれないし、そんなに簡単に明確に答えが出ることでもないんだもの。
 変わらないこと、それはわたしは生きているんだってこと。今日をもってまた明日に進んでいくんだってことなんだな、と思う。