リツエアクベバ

satomies’s diary

続:知的障害者でもやっちゃいけないことはやっちゃいけない

 「障害者」と出せば許されると思ってるのか、と。いや〜、そんなこたないと思いますよ。すみませんすみませんすみませんすみません、と、頭を下げながら生きてるって場合も多いと思うんだけれどね。そしてその上であると思うんですよね、「理解してください」ってことが。
 ああわたしは米つきバッタのようだ、と思ったことありますよ。障害児の放課後支援活動ってヤツで、そのメンバーの子のひとりが、公的施設のドアノブを壊してしまったわけです。
 施設の責任者がやってくる。わたしはこの活動の責任者だ。すみません申し訳ありませんでしたすみませんすみませんすみません。もう必死ですよ必死。くどくどくどくどと続くわけです、全くなんでもうこんなことに、とね。すみません申し訳ありませんでしたすみませんすみませんすみませんすみません。頭の中ではボランティア保険の賠償責任に対しての保障なんてのを思いつつ。
 すみませんすみませんすみませんすみません。頭下げまくる理由ってのは、必要だからですよ、地域の施設利用ってのがこの子に。そんなことが起きちゃった子だからこそ、必要なわけですよ、家庭と学校以外の地域の拠点利用の経験というものが。そこでその子のその経験を剥奪されてはならないわけです。そのためにはやっちゃいけないことはやっちゃいけない。やっちゃったときには謝り続けるしかないわけです。賠償ってのはその先にあることだと思う。謝んなきゃ、話にならない。
 すみませんすみませんすみませんすみません。その子の親ではなく、わたしが米つきバッタをしまくるのは、その子の親ってのはそんな経験ってのは山ほど積んでいるわけですよ。その米つきバッタを誰かが肩代わりするってことも、とても重要なんではないかと思うわけです、その子が地域で生きていくためには。
 障害児余暇支援活動だ、と。そう言って場を借りていることへの理解ってのはどうなんだ。などと人にも言われましたが、現時点で相手が怒っていれば、理解もへったくれもないわけです。やるべきことは頭を下げ、そして理解をお願いし続けること。
 この後、別の話し合いの中で、「あの子はねえ…」みたいなことも言われましたが。このときはさすがに涙が出ました。どこへ行けって言うんですか、と。公的施設の公ってのが頼りのところはあるんです、と。
 その子の器物破損、ってのは無いですよもう。フォローとしての注意万全だからね。問われたのはここ、って要素もあるわけですし。この場所で器物破損ってのがあったときに、当然アンタんとこのグループだろうと濡れ衣着せられて、使わせてもらえなくなったものもありました。
 さて、その数年後。福祉団体として登録という制度が始まり、この公的施設での登録をしました。またこの施設を利用して、行政の活動としての障害児余暇支援活動も始まりました。がらっと変わりました対応、もう「あの子はねえ…」とは言われない。この障害児余暇支援活動を行政として始めるにあたっての、この施設での会議にも参考意見を述べる立場として呼ばれました。やったね、って思ったね。
 ある日、アレって思う。使わせていただいている場所に小さな手洗いの場所があったんだけれど、それがごそっと無くなってた。活動に協力いただいている方に「うちに対してどうのってことじゃないよね、コレ」とも言われました。なんの疑いももたない笑顔たっぷりの表情で、その施設の職員の方にお聞きしました「なんではずしたんですか?コレ」。
 「危ないかなってことになったんですよ。何かあってからではなく事前にってことで取り外しました」と、先方も笑顔でにっこり。
 再度、協力いただいている方にこそっと聞かれる「うちに対してどうの、ってことじゃないよね」と。
 「違うと思いますよ〜。うちは水に関しての興味が強い子はいませんから。うちがネタではずしてるんだったら、ずっと前にそんな話出てるでしょうし。多分ここで始めた余暇支援活動のメンバーの子に水へのこだわりの強い子がいたんじゃないかと思う。要はここの施設も経験ってヤツをしてるんだと思いますよ。」
 理解は経験の上で。そして理解をもってもらう日を信じて、頭下げなきゃいけないときは、頭、下げるさ。やっちゃいけないことはやっちゃいけない、って。その基本線の上にあるんだものね、社会ってのは。社会でさ、生きていかなきゃね。