リツエアクベバ

satomies’s diary

今日は暴言

 たくさんの方々が注目する妊娠というものの妊娠期間が終わって、命というものが誕生したようで。
 まあこの妊娠というものは、性別に政治が関わってくるということもあり、またその立場もあり、とうてい個人の妊娠とはいえないものがあるだろうと思う。そこで個人の妊娠でもあるんだ、などと思いたい思いなんてものも、その中にはあるんじゃないか、とも思う。
 だけどさ。もう、けっ、とか思うんだよね、けっ、とか。
 性別、調べてただろ?なんていう暗黙の推測なんてのに抵抗したいってとこもあるかもしれない。だからってさ、障害の有無が関わる出生前診断なんてことまで持ち出さなくたっていいじゃないかと思う。
 性別がからんでくる出生前診断では、要するに羊水検査、要するにダウン症か否か、ってことが出てくるんだろうと思う、高齢出産だしね。
 でもさ、出産が終わって、まあ大半の人が望んでいただろう男子で非ダウン症児だって。それでいいじゃないか、と思う。「どんな状態でも受け入れたいから検査はしなかった」って、なんか、正直、ああそうかよ、と思う。そりゃ結果オーライでほっとして言えることなわけで、なんかこう、「ああダウン症じゃなくてよかった喜び発言」に聞こえちゃうのはひがみややっかみなんだろうか。いやたぶんそうなんだろ。
 じゃオマエはダウン症の子がイヤなのか、って、そーいうことじゃないんだよ。「あなたのお子さんはダウン症です」ちゃらら〜〜ん、ってBGMの瞬間なんてこと、知らないだろ、と思う。
 それはさ、オランダなんだよ、イタリアに行くと思っていたのにオランダに着いた、って。そういう愕然とするショックなんだよ。オランダかもしれないと思いながらイタリアに着くってのと違うんだよ。オランダに着いちゃって、そこから立ち上がるって。そういう経緯ってのが経験ってのが大きいんだよ。

オランダへようこそ/(JDSNデータベース)

 だからさ、思ってたっていいよ。でもわざわざ目立つとこで言わなくたっていいだろ、と思う。今そんなこと言うのはほめられたいのか、と思う。言うんだったら妊娠中に言えよ、とかも思う。まあ絶対に言えない立場だろうと思うけどね。
 でもさ、一度ダウン症の子どもを生んだ女ってのは、次に妊娠する場合は、こういう検査に関してするなりしないなりってのの決意表明なんてのを、妊娠中に何度も何度も繰り返し繰り返しやるしやらされるし、ってとこあるんだよね。その人のおかれている家族環境によっちゃ、ナイフぐさぐさ突き立てられながらね。
 まあもちろん、立場が立場だから、検査に対しての強制ってのもあっただろうと思う。ナイフぐさぐさのようなこともあっただろうし、重圧もあっただろうし、言えないこともたくさんあるだろ、とも思う。でも黙ってた方がいいことは最後まで黙ってる覚悟だってもってくれよと思う。わざわざ公的なとこに出していくようなとこに言わなくったっていいだろ、と思う。
 なんかさ、出産後に優等生のようにこんなこと言うのって、なんか暢気だよな、と思う。そうですねそうですか、どんな状態でも受け入れようと思われてたのはすばらしい、なんてとこに、まあダウン症でもですよね、なんていうニュアンスが入って、よかったよかったなんてとこにもっていかれてるのを見てるのは、どこか腹立つよ。
 以上、感情筆記。ツッコミ覚悟。
 ちなみにわたしはしましたよ、羊水検査。一人目のときは妊娠20代ですすめられる立場でもなかったし、思いもしなかったし、出生前診断自体に否定的な立場だった。でも二人目はした。ダウン症発覚で中絶するためではなく、全てを妊娠中に知りたかったから。その検査でプラスと出た場合に自分に起きるかもしれない醜さをも全て知りたかった。夫はそんなわたしの葛藤を支える立場を選んだ。
 知りたいという自分の欲を罰するために、選んだ病院は「医療の現場では羊水検査をやっているが、その病院では宗教的方針のために妊娠中絶は行えず、シスターの命についての説教がついてくる病院」。偶然にも説教のきついシスターがたまたま担当されたので大変だった。
 そして検査日程は5月の連休以前。ダウン症が発覚して中絶を選んだとしたら、そこから中絶のための病院を新たにさがさなきゃならなくなるわけで。中期の中絶になるので出産して殺すというやり方を取るために、そう簡単に今日行って今日ということはできないわけで。5月の連休をはさむので、スケジュール的に法で許可された週数内での中絶はほぼ無理というか、やるんだとしたらかなり大変という日程。自分が醜さを持ったなら、やれるもんならやってみろ、という挑戦的な姿勢もあったと思う。
 その知るという行為、知りたいという欲、そしてそうした自分を知るということ、その行為につきあわされるわが子。言いようのない多種多様な悲しみを背負って、ただだらだらと泣きながら検査を受けた。勘違いも甚だしい医師と看護師に終始勘違いな慰めを受けながら検査。坊やはものの見事に腹の中を動き回り、長い長い注射針は麻酔の効かない箇所に打たれた。その痛みにうーーーーーとうめきながら検査を終えた。痛みの無いはずの検査できつい痛みを味わったわたしという展開。その痛みは肉体も精神も感じつくした検査だったと思う。
 検査を受けたことには後悔していない。あの検査台にのぼる悲しみをわたしは知ったこと。これは大きかったと思う。悲しみも痛みも醜さも傷もわからない人に、そう簡単に語って欲しくないとも思う。
 検査結果には性別もついてきました。名前も出産準備も全て男の子のもので用意しましたとさ。検査の結果、染色体異常が無いことはうれしかったか、ですが。なんかね、もう検査受けること自体に疲れきってて、検査後はもうどうでもよかったな。結果判明まで2週間以上(5月の連休はさんで)あったしね。結果が深刻な顔でプラスと伝えられたなら、はははと力なく笑ってそうか、と。また産後は病院通いかな、と。なんかそんな展開だったんじゃないかとも思う。醜さをもつってことにもエネルギーはいるわけだしね。何かを否定したりするエネルギーなんてものはかけらも残ってないって感じだった。まあもう渦中じゃないのでわからないけどね。
 オマケみたいについてきた男子判明の方がうれしかったな。お世継ぎだのなんだのとか関係なく、男の子欲しかったんだもん。