リツエアクベバ

satomies’s diary

パソコンから送信

久々にパソコンから送信。旧はてなダイアリー時代には100パーパソコンからだったのだけれど、はてなブログからは9割くらいiPadから。誰にどう言うわけでもないのだが、はてなブログに移してから「毎日絶対何事か残す」ことに勝手に自分でいつのまにか決めた。夜になるとiPadを抱えて日記をつける。

パソコンのキーボードを使わないと、そこそこ長文がめんどくさい。まあ夜になって「今日」の締め切り時刻が近づいているからというのもある。

さて。今日は久々に午前中にパソコンだ。娘に関わる活動の書類を作る必要があった。そして福祉職の人間の回答待ちの部分があり、ここから作業が進めなくなった。ところで、おお、そだそだとここに来た。

実はね、長くなる話があるんだ。長くなる思いだ。出生前診断にからむ。ダウン症出生前診断に関しては、わたしは多くを語らない立場だ。倫理がからむ問題だけれど、この問題に関してすごく嫌な側面がある。それは。「出生前診断をどうとらえるかということが、ダウン症児者の親に対して、親同士で『正しい親』の踏み絵のようなことになる問題」。

赤ちゃんが生まれた、ダウン症の赤ちゃんだった。その次に生まれる赤ちゃんの「胎児状態」を知りたいと思うのはいけないことか。知る、知ってどうする。この二者の間にとても深い心と葛藤がある。殺すために知りたいのではないという人と、排除するために知りたい人がいると思う。いや、それはその人の人生だろう。

だいたいこのあたりで正しさを振り回して、「親」を責める「親」は、たいがい長子は普通の子だ。ちがうんだよ。第一子がオランダについた経験しかない親は、行先がわからない飛行機に乗るのは不安なんだよ。だって、イタリアに行こうと思ったらオランダについた経験しかないんだから。当然イタリアに着くものと思ってちゃんとイタリアに着いた経験がある人にはわからないと思う。
tsuyopon.boo.jp

ただし、知るという選択をするということは、自分の中の「否定」という選択を見つけてしまうかもしれないという諸刃の剣でもある。とても怖い。ここに向き合うくらいなら何も知らないほうがいい、という人もいる。

そんな心をたくさん乗せて時代がどんどん進み、知る技術はどんどん「母体にやさしく」なっていく。妊娠週数が早い時期に、母体を傷めずに染色体が多い胎児の妊娠をおしまいにすることができるようになった。そのことについては、今の、これからの若い人たちが考えていくことだと思う。わたしはたくさんのネガティブに寄り添う用意を自分の中にひっそりと用意する。

しかし世界の事情に愕然とすることはある。

satomies.hatenadiary.com

この時開いていたのはフランスの話。フランスでは出産一週間前でも、胎児がダウン症だとわかったら人工妊娠中絶が法的に可能。中絶ではない。産まれても産ませてももう生きる胎児を、産ませて死なせる。腹で育んだ280日ほどをすべてゼロにできるほど、憎まれなければならないのか。このことを知って娘の顔を見ると胸が苦しくなる。何者かが娘に襲い掛かってくるような不気味な恐怖のような、そんな感じ。きつい。

次々にページを開き、出産予定日一週間前に胎児の様子から出生前診断が行われ、「この妊娠やめることができるけれどどうする?」と問われたという、フランス在住の日本人のブログを読んでた。
この日読んでたブログの方は出産を選択。それは胎児選択の「フランスの常識」がこの方に蓄積されていなかったともいえる。フランスの感覚が蓄積されている「ママ友」に、産まなきゃならなくなってかわいそうだねと、実際に直接言われたという話もあった。この方のブログとは別に、ダウン症啓発の動画がフランスで否定されたというニュースも読んだ。ダウン症の胎児を中絶した女性の心にマイナスの動揺を与えるから駄目だという話だったと思う。ダウン症で生まれたけれどわたしはしあわせなの。そう訴えかける動画は「なのにあなたは殺したの」に確かにつながるだろうと思う。

ちょっと前にジャミンのシャツを買った。チャリティーデザインのシャツを期間限定で売るジャミンの、今年のダウン症協会コラボシャツがすばらしくかわいかった。

jammin.co.jp

ジャミンからメールが来た。今週のデザインは「NPO法人親子の未来を支える会」とのコラボだそうだ。デザインはすばらしく、そしてとてもかわいい。欲しいと思う。ただ、「胎児医療」と「命の選択」という問題に、生まれる寸前でも殺せる世界がある現実がちらちらして、わたしはとても苦しくなる。

jammin.co.jp

わからない。よくわからない。わたしは今年の年賀状を取り出してながめる。娘関係のお付き合いの方々に、娘中心に作るバージョンの方の年賀状。こうやってわたしは娘と共に生きていて、そしてしあわせなんだろうと思う。いろいろわからないことはたくさんあるが、今日も明日もそうやって生きてく。

今年28歳になります。成長の中でゆっくりといろいろな言葉を覚えてきたのですが、具体的ではない言葉は難しい。昨年は二つの言葉を意識して伝えてみたりしていました。
それは「懐かしい」と「幸せ」です。

 小学校の近くを通り「小学校だ」と言うときに「懐かしい?」と尋ねる。特別支援学校の同窓会や学祭に行ったときに「懐かしい?」と尋ねる。なつかしい、と答えるのを聞きながら、この子にどんな「懐かしい」が育っているのかなと思います。

 美味しいものを食べながら、温泉につかりながら、きれいな景色を見ながら「幸せ?」と尋ねる。しあわせ、と答えるのを聞きながら、わたしはいつも幸せになります。

 新しい年、みなさまにたくさんの幸せが訪れますことを心よりお祈り申し上げます。