リツエアクベバ

satomies’s diary

摂食障害という言葉との出会い

 数年前、わたしは神奈川ボランティアセンターのセルフヘルプグループ研修を受けた。週一土曜の午後から夕刻だったかの時間帯に2ヶ月程度だったか通った。内容は講演とワークショップ。
 この研修は有名といっちゃ有名で、渡される参加者名簿のいわゆる「肩書き」のところはいろんな人がいた。新幹線に乗って自治体から研修として来ている人もいたし、近隣の自治体の福祉職もいた、カウンセラーもいた。そしてわたしのように実際になんらかの当事者としてセルフヘルプグループに関わっている人が、やはり数が多かった。障害者もいたし、障害者の家族もいた。
 その日の講演の講師は摂食障害の当事者グループの人だった。摂食障害という言葉自体をわたしはよく知らなかった。摂食の障害、といえば、わたしにとっては、咀嚼や嚥下の機能がある原因によって障害をもち、その発達を助けること、というイメージがあり、これはいわゆる自分の範疇のことからくるイメージだったと思う。
 講演が始まり、ああこれは、と思った。要するに自己の姿を見失ったときに、その迷路の中で、食事をとるとらない何かを食べる食べない食べたものを自分の意志と手で吐く、といった、人間という生き物の動物的な行為を精神が壊していくことなのだ、と。
 この方の話は非常に興味深かった。それは摂食障害がどうのということではなく、一人の人間の人生の話として興味深かった。レジュメも資料もメモも何も持ち出さず、記憶のままだけで書けば以下の通り。
 優等生だった、なんでもよくできた子だった、しっかりして手のかからない子だった、どこに行ってもリーダー的存在だった、母親のいうことをよくきく子だった。
 でも、本当の自分はそんな人間じゃない、と、本人自身が気づいていた。気づきながら気づかないふりをずっとしてきたのだけれど、いつか土手に穴があくように、過食と嘔吐を繰り返していき、医療が必要になる。
 摂食障害の治療のために専門医に通う。摂食障害を解決していくために当事者グループに参加する。でもダメだった。どこに行っても、「わたしはよくできたいい子である」という仮面で自分自身をすぐに覆ってしまう。専門医の前ではあたかも優等生的な患者のようにふるまい、治療は順調であると思わせ、当事者グループでは改善に向かっている自分を演じる。しかしその実態はコンビニでスナック菓子の万引きを繰り返し、過食嘔吐を繰り返していた。
 当事者グループの中で、いつかその仮面ははがれ、自分は自分に向き合わざるを得なくなっていく。自分に向き合い、優等生であることを傷つきながらやめていく方向を、やっと手に入れ、そして摂食障害は改善していく。
 と、そんな話だったと思う。他者から与えられたイメージを、それを偶像と半ば気づきながら、しかし気づかないように自分自身に抑制を加えながら生きる。その壮絶さ、という感じがとても衝撃だった。
 人間は無理をすれば壊れる。その壊れるというシステムは、実は、長い距離を持たせながら、生きるということに向かうための精神の防衛なのかもしれないと思った。壊さなきゃ出られない部屋、扉を作っていく苦しさは、そこを出るための明日への準備なのかもしれないと思った。
 質疑応答、ワークショップ。その中で、わたしは本当に聞きたいことというのが聞けなかった。いや本題に比べてあまりにくだらん、と思ったから。くだらんが思いついてしまった疑問というものは簡単に消せない。
 帰路、そこで知り合った女性にその質問をぶつける。わたしよりいくつか若く、開業し自分の場を持つカウンセラー。その研修で同級生のような感覚だった。
 ねえあのさ、コンビニでスナック菓子の万引きを繰り返して食ってたって言ってたでしょ。あのさ、スナック菓子って袋大きいじゃない?かさばるじゃない?そんなのの万引きって、コンビニでそんなに簡単にできるものなの?繰り返せるほどに?
 いや、あまりにくだらんので笑いが出るのかと思った。でも彼女はちっとも笑わなかった。笑わずに、あのね、と言った。ああいうケースはね、と説明をしてくれた。
 万引きの罪ってことを別にして言うとね、万引きなんだよ、万引きじゃないとダメみたいなとこがあるんだよ。買うってことができないの。買うってことは、自分の過食嘔吐を、過食嘔吐を繰り返すことに依存する自分を自分が認めるってことだから。自分にさえも隠さなきゃいけないの。財布出してそこからお金を出して、店員にお金を払って買ったら、それはその事実を自分で認めなきゃならなくなるの。それができないの。だから買えないの、だから盗むんだよ。
 はあ〜〜、と思った。役割を、他者からのイメージを与え続けられ、自分という存在の本当の意思が見えなくなっていくということ。これはなんと残酷なことだろうと思った。
 摂食障害の症状症例なんてことは、人の数だけ症例があり、その定義もいろいろだと思う。わたしがふれた人生は、その中のたった一人の個人の例なんだと思う。
 ただその、たった一人の個人の例というものは、わたしにとって大きな影響を与え、そしてその影響はいろいろな形で自分の中に息づいているのだと思う。