リツエアクベバ

satomies’s diary

やっぱりねえ

2008年11月11日更新分

オーストラリアに永住したいドイツ人の「立派な」お父さんとその息子さん(ダウン症児)の話。この永住が認められたんだって。

息子のダウン症で永住拒否した豪政府、決定を覆す/Ashley事件から生命倫理を考える

まあ要は、問題を社会的コストで考える、という結論でしょう。社会的コストでダメって言ってたのが、社会的コストで計算し直して「アリ」ってことになったのだと。
障害を社会的コストで計算するってのは、出生前診断にからむ話。有名なのはイギリスで多く生まれてくるとされる二分脊椎症に関して「社会的コストを計算して」出てきた研究やら公費での実施やら。このあたりに関しては、NHKで過去放送された番組の詳細がネットで閲覧可能。

生命誕生の現場〜最新技術がもたらす重い課題〜」/ 社会生命科学の資料集
イギリスでは、胎児に異常があった場合は、臨月まで中絶することが認められ、医師も妊婦も罪にはなりません。
 妊婦のほとんどが、出生前検査を受けるイギリスでは、検査費用は行政にとっては大きな負担になります。
 医療費の増加に悩み続けてきたイギリスが、この検査を重点項目に上げ、公的に費用を負担しているのには理由がありました。
 こうした、出生前の検査システムを、20年前に開発し、その整備につとめてきたのが、リーズ大学のハワード・カックル教授です。公衆衛生学の専門家であるカックル教授は、出生前の検査の費用をすべて公費で負担しても、障害者の数が減るので、社会的負担は軽減されると主張してきました。イギリスでは、障害者が65歳まで生きたときに、一般の人よりも、およそ2400万円多く、国が支出すると推計されています。カックル教授は、出生前の検査にかかる費用の方が、遙かに安上がりだという計算を、この論文で行いました。多くの妊婦の中から、出生前の検査で、障害を持った胎児を一人発見するのにかかる費用は、38,000ポンド、およそ760万円です。その胎児が中絶されれば、社会が負担する費用は3分の1で済むと主張しました。

ゆりかごから墓場まで」をやるには、コストによる選別も必要ということかと。で、このスコットランドで多く生まれてくるとされる二分脊椎症が出生前にどうわかるかって研究をしていたら、その結果から、二分脊椎症の判明の結果にダウン症の判明の可能性も出てきたと。そしてそこから出てくる「技術」に関しては、すでにダウン症出生前診断として日本でも実施されているということで。
ちなみにこのあたりのオーストラリア事情に関しては、こちらが詳しい。

オーストラリアの出生前診断について

まあこんな背景もあって、オーストラリアの移民事情にはコスト計算もからんでくるんでしょう。
ただねえ、わたしの勝手な思いで言えば、このドイツ人の医師に「がんばってきたオレの子なんだから、オレを認めてくれ」ってやり方は取らないで欲しかったな、と。まあ自分の勝ちを取って、問題の負けを認めたってことだよな、と。だからまあ、ふうんくらいしかないなあと思う、このニュース。社会を学ぶ、的かなあと。
このドイツ人の医師よりかっこいいのは、確かあの子だったよなあと検索かける。検索ワードは「留萌訴訟 障害児 敗訴」。

自分に嘘はつかない ――普通学級を選んだ私――/第3回週刊金曜日ルポルタージュ大賞佳作受賞(週刊金曜日98年5月15日号)
間違っていることには間違っていると声を上げる。これをできる日本人が今どれだけいるだろう? 不正を知りつつも、会社では、クビや冷遇を怖れ口をつぐみ、イジメを知りつつも、学校では、仕返しが怖く、守ってあげない。違うことには違うと言う。この極めて当たり前で大切なことを、私はわずか18歳の少女から学んだ。
 なお、事前にお断りしておきますが、本稿は、障害児の普通学級入りを勧めるために書いたものでも、特殊学級養護学校を非難するために書いたものでもありません。その逆でもありません。どの学級に行くかは本人と保護者の選択であればいいと思っていますが、本稿はあくまでも、「自分の意思を貫く」ことの大切さを軸に描いたものです(なお、原稿での年齢は掲載当時のものです)。

「勝つ」という言葉は恵の心にストンと落ちてこなかった。裁判は、障害者運動の世界から熱い注目を浴びていたが、恵が心を留めていたのは、そのような大きな動きより、例えば、小学六年生のときの情緒障害の友だちが、普通学級に通える恵に投げた言葉だった――「山崎はいいなあ。普通学級に行けて」。
負け裁判を進める恵たちには、いくつかの障害者団体から「負けて、障害者運動の蓄積を壊すな。裁判をやめてくれ」との批判が寄せられていたが、そんななか、「負けないで!」と強く励ましてくれたのは、普通学級を拒否されたある知的障害児の母親だった。その子は恵によくなついていた。
裁量権で勝つことは、私自身があの子たちを分けてしまうことになるよ」
裁判前、こんな新聞投書があった。「恵ちゃんは知恵遅れではありません。身体が不自由なだけです」。恵の普通学級入りを応援しつつも、知的障害児は別と考える人は多かった。自分がその通りのことをしてしまうのか。裁量権で争うのか否か、清水に報告するタイムリミットが迫っていた。最終判断するのはあくまでも一四歳の恵だった。
恵は悩み続けた。「叶える会」で出される意見が、自分のなかに現れては消えてゆく。そのなかで、最後まで心に残った言葉がたった一つだけあった――「どんなに難しい問題でも、最後に背負うのは本人なんだから、その時その年齢で必死で考えた上での結論なら、本人は納得するのではないか」。
この言葉から、恵は一つの結論に辿り着く――「自分に嘘はつかない」

(中略)

毛利は裁判をこう振り返る。
「僕は今でも裁量権で勝ちたかった。でも若干一四の女の子が、なぜここまで信念を貫けるのか。信念に歳は関係ないと学んだね」

裁判には負けたけれど、この方、裁判以外のものに負けなかったのだと思う。その後の人生にこの「負けなかったこと」というものは大きく作用していくのだと思う。
自分の目の前にある「勝ち」を取るのか。その「勝ち」だの「負け」だのから見えてくるもの、そこで自分が「絶対に引けない」と思うものを取るのか。まあそういうことなんじゃないかと思う。
要はね、渦中のドイツ人の医師の希望は理解するけれど、わたし個人はそこには人間としての敬意は感じないなあってことかなと思う。立派なお医者さんみたいですけどね。