リツエアクベバ

satomies’s diary

ニュース記録

ひとつのニュース、いろいろな記載があったので記録。どこにポイントをおいて取り上げているかという相違があるように思う。

重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。
長男正大さんに対する殺人と、妻きみ衣さんに対する承諾殺人の罪に問われたのは、埼玉県川越市の福島忠被告。福島被告は公判で「体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に『3人で死のう』と言われ、決意した」と語った。
検察側の冒頭陳述や福島被告によると、長男の症状は重く、知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われたといい、夫婦は「子どもに罪はない。20年を大切にしてあげよう」と誓った。
食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、介護は過酷だった。自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。
妻が頭痛やぜんそくなどの体調不良を訴えたのは約2年前。40年勤めた会社を定年退職した福島被告も介護を手伝った。だが妻の体調はますます悪化し、「3人で逝こう」と心中を望むようになった。
08年8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。9月9日夜には「遺書を書いた」と福島被告に伝えた。その言葉に、説得を続けていた被告の心も折れた。
翌10日午前1時ごろ、福島被告は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。
「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そう公判で訴えた福島被告は判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去った。(津阪直樹)

去年9月、埼玉県川越市の住宅で、妻と障害のある長男を殺害したとして殺人などの罪に問われている夫の裁判で、さいたま地裁は懲役7年の実刑判決を言い渡しました。
この裁判は、川越市の住宅で去年9月、この家に住む福島忠被告(57)が妻のきみ衣さん(当時53)と長男の正大さん(当時27)を殺害したとして、殺人と承諾殺人の罪に問われているものです。
4日の判決でさいたま地裁は、「長男は重度のダウン症だったが、家族3人で介護を続けてきた」「妻から一家心中を求められ、ぎりぎりまでためらったが、最後には2人に対する愛情から、自らの死も覚悟して本件に及んだ」と指摘したうえで、「ほかにとるべき手段が十分あり、短絡的である」として、福島被告に懲役7年の実刑判決を言い渡しました。(04日21:50)

川越市の自宅で昨年9月、妻きみ衣さん(当時53歳)とダウン症の長男正大さん(当時27歳)を刺殺したとして、承諾殺人と殺人の罪に問われた同市藤間、無職、福島忠被告(57)に対し、さいたま地裁(若園敦雄裁判長)は4日、懲役7年(求刑・懲役10年)を言い渡した。
 判決によると、昨年5月ごろから、きみ衣さんがうつ状態になり、正大さんの将来を悲観して、「もうやっていけない。3人で逝こう」と一家心中を口にするようになった。9月10日未明、福島被告は、きみ衣さんから承諾を得たうえで、就寝中のきみ衣さんと正大さんの首をナイフで刺して殺害した。自身も手首を切り自殺を図ったが死にきれず、110番通報した。
 若園裁判長は、福島被告が、犯行を最後までためらっていることなどから、「酌むべき事情はある」としたうえで、「妻がうつ状態で、懇願が正常なものでないと十分理解していたはず」と指摘。妻を医者に受診させなかったことや正大さんの将来について、他の人に相談しなかったことに触れ、「他にとるべき手段があり、短絡的な犯行と評価せざるを得ない」と述べた。
 判決言い渡し後、若園裁判長は、「公判で『2人を追って死ぬ』と述べていたが、正大さんが2人の元に生まれたことには、必ず意味があり、あなたが生き残ったことにも意味があると思います。その意味を自分なりに受け止め、有意義に生きてほしい」と述べた。福島被告は肩を落としてじっと聴き入っていた。【飼手勇介】

◇家族救う道「他に」 地裁判決 死を覚悟、同情も
川越市藤間で重度のダウン症を持つ長男(当時27)と、病を患い介護に疲れた妻(同53)を解放させる手段として父親(57)が選んだのは殺人だった。さいたま地裁は4日、懲役7年の判決を言い渡した。家族を救う道はなかったのか。弁護士や福祉関係者は、社会の変化を望んだ。
小柄で短く切った白髪交じりの福島忠被告はこの日、灰色のスエットと紺のジャージー姿で出廷。背筋を伸ばし、まっすぐ前を向いたまま、判決を聞いた。若園敦雄裁判長に「今のあなたには届かないかもしれないが、『他に方法がなかった』と事件に及んだことを大変残念に思う。長男の障害にも、あなたが生き残ったことにも意味があることを受け止めて残された人生を生きて欲しい」と諭されると、「はい」と一礼した。
裁判では、長男正大さんを献身的に世話していた被告と妻きみ衣さんが、きみ衣さんの体調悪化をきっかけに、次第に追いつめられていった様子が明らかになった。被告はこれまでの公判で「3人のうち誰かがかけることは考えられなかった」と説明。ギリギリまで迷いながらも、心中を決意した思いを語った。
判決は、「被告は妻とともに、正大さんの介護という負担を伴う家庭生活に被告なりに向かい合ってきた。2人に対する愛情から、自ら死を覚悟して事件に及んだもので、酌むべき事情がある」と同情した。
ただ、妻を受診させたり、正大さんのことを第三者に相談したり、他に取るべき手段があったと指摘。「動機、経緯はやはり短絡的であったと評価せざるを得ない」と結論づけた。
一方、被告の弁護人や福祉関係者はやりきれない思いで判決を聞いた。谷口太規弁護士は閉廷後、「被告は長男の障害に負い目を感じていた。障害を受け止められる社会であれば、結果は違ったのではないか」と話した。
正大さんが通っていた養護学校の元教諭の女性(61)は「障害児の介護の問題は親だけではなく、社会全体の問題。簡単に相談できるところがないから、親はみんな大変な思いをしている」と話した。