リツエアクベバ

satomies’s diary

↑の追記というか考察というか

以下、乱暴な要約によるニュースの記載比較。

心中までの家族のストーリー中心。本文から受ける印象はタイトルが象徴。裁判長の発言はそのストーリーに対しての返答中心。「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」「残された人生を有意義に生きて欲しい」等、本文にある「諭した」という言葉が象徴的な部分のみ。妻の病状は「頭痛やぜんそくなどの体調不良」。

このニュースの概要のみ。裁判長の発言は事件の経過と「ほかにとるべき手段が十分あり、短絡的である」のみで「諭した」的なところはカット。

裁判長の「諭した」要素の発言は記載されているが、「述べた」という表現。また「諭した」要素の発言の前に存在する「短絡的な犯行」とすることに対しての説明が存在。妻の病状に対して「うつ状態」と記載。

◇家族救う道「他に」 地裁判決 死を覚悟、同情も

「短絡的」とすることに対しての発言が他のニュースより詳しい。記事の記載の印象は、「家族を救う道『他に』」というタイトルが象徴。弁護士の発言や、息子の元教師の発言など、「家族」以外に目を向けた内容。
裁判長の「妻を受診させたり、正大さんのことを第三者に相談したり、他に取るべき手段があったと指摘。『動機、経緯はやはり短絡的であったと評価せざるを得ない』と結論づけた」、弁護士の「被告は長男の障害に負い目を感じていた。障害を受け止められる社会であれば、結果は違ったのではないか」、元教師の「障害児の介護の問題は親だけではなく、社会全体の問題。簡単に相談できるところがないから、親はみんな大変な思いをしている」との発言の記載の順序が、事件の構造をわかりやすくしていると思った。

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これらの報道で書かれていないことは、このご子息が在宅だったのか通所先があったのかということ。小学校から高等部までたいがいは18歳までは「学校」に在籍、その生活に誰かが関わっているということが前提になるけれど、学校卒業後在宅になってしまった場合はケースによっては孤立してしまうことも。どこかに相談に行こうにも、では相談に行くのに、また相談をしている時間に、誰が子どもをみているのかという問題は出てくると思う。
ダウン症は学校卒業後、青年期に急激退行が起きることがある。外に出られなくなり在宅状態になってしまうケースは珍しくはない。つまり「在籍する機関」を失ってしまうことでもある。そのときに専門機関含め誰の手をつかむかつかめるか。信頼に価する人に巡り会えるか。自分の体調が、「誰かの手をつかむ気力」をもつことができる状態を損なうことになることがあったりしたら。
他人事とは思えないなあとも思う。うちの娘は現在は生活能力はあるけれど、「知能は2、3歳程度」ってとこは共通だしね。現在の生活能力が崩れていく精神面の変化が出ることが起きたとしたら。まったくもって他人事とは言えないなあと思う。でも死ぬもんか。