リツエアクベバ

satomies’s diary

うれしかった

娘の特別支援学校のPTAで、今年でかい活動を仕掛けた。賞賛の言葉を数々いただき、障害者福祉の取材も受けた。そのでかい活動の背景には4年前の発端があった。娘が入学した年だった。常任委員会の副委員長の立場でその発端と当時の本部役員の動きを見ていた。その発端は学校の中に、そしてわたし自身の中に脈々と生き続けていた。
今年仕掛けた活動。その4年前の発端の原点に対してきちんとお礼のご挨拶をしたくて、活動の報告を送った。遠い地の養護学校のPTAに。
ご挨拶のお手紙を入れようと、パソコンに向かい文面を作った。そして。娘の特別支援学校の作業班が作ったレターセットを取り出す。お手紙は手書きの文字で書きたかった。
便せんに一枚半。パソコンでは600文字程度。今はそんなことは言わないのかもしれないけれど、遠い昔に聞いたしつけを思い出す。「大切な手紙はそもそも筆で書くのが礼儀という流れがあって、万年筆がその簡易型。少なくともサインペン使用は必須。ボールペンは失礼にあたる」。万年筆、持ってないから細字のサインペン書き。
なんて長いこと手書きの文字を書かなかったのか、と思うほど苦労した。書き損じの便せんをびりびりと破く。お礼のお手紙に誤字なんて許されないぜ。なんてアホなんだ自分、と、ツッコミ入りまくり。どんな呪いがかかったのか、なぜ「ご報告」という簡単な文字の「告」という文字に自分はしんにょうをつけたがるのか。ぐわーとかぎえーとか吠えながら、なんとか書き上げて投函。
文面を数人に事前チェックしてもらった。副会長の一人が言った「これ、もらったらうれしいと思う」。
そのとき恥ずかしくて言えなかったけど、わたしにとってはもう届くだけで、開封してもらえるだけで胸いっぱいという感じだった。ありがとうと思う、ありがとうと伝えたい、それを届けるということだけで自分にとっては精一杯。本当に思ってることを言うのって、本当に思ってるっていうのがあればあるほど、それを相手に伝えるのって恥ずかしくてドキドキするよね。でも伝えたかった。
お返事が来た。4年前にたった一度接点があった遠い地の養護学校のPTAの会長さんから。伝えるだけで精一杯だったのに、お返事が来た。
事務の職員の方が「会長宛てに郵送物が来てますよ」と届けに来た茶封筒。ドキドキしながら開封する。A4版のちょっと厚い紙一枚に縦書きでぎっしりと、手書きの文字で綴られたお返事だった。こちらのお礼を受け取るということにとどまらず、暖かな手を差し伸べて握手をしてくるような文面だった。
うれしかった、本当にうれしかった、なんて言っていいかわからないほどうれしかった。その手書きの文字ひとつひとつを見つめながら、手書きで出して良かったと思った。
自分が出した手紙はコピーをとっておいた。そのコピーを取りだして改めて眺める。再度いただいたお手紙を眺める。PTA会長名で出して、そしてPTA会長名の差出人で受け取ったお手紙。
男性名のその文字を見ながら「立派な会長さんなんだろうなあ…」と言うと、仲間が言ってくれる、あなただって立派な会長さんじゃないかと。ぶんぶんと首を振る、だってたかだか600字に何枚も便せんを無駄にしたよわたしは。書き上げた手紙だけみれば、そんなことはちっとも相手にはバレないよね。恥ずかしいよ。
でも。うれしかった。がんばって、よかった。でもって、「コレやりたいの」ってのに精力的についてきてくれた仲間にやっぱり感謝だな、と思う。
あとつまんねーことだけど。先方からいただいたお手紙もボールペン使用ではなかったので、同年代かちょい上かな、と思った。