娘はダウン症で、わたしは「ダウン症児の親」としてカテゴライズされる時があると思う。ダウン症の子は症候群として共通性が見られる部分がある。「ダウン症児の親」として、もっと年長の子もしくは成人の「ダウン症児者の親の話」を聞きたいところもあるし、「ダウン症児の親」として、もっと年少の子の「ダウン症児の親」に話を聞かれるときもある。
ただ困っちまうのは、外側からそのカテゴリーに対して一方的な見方を押しつけられて困惑するときかな、と思う。小さな例でたとえて言えば「ダウン症児の親は、ダウン症児に対して『ダウンちゃん』という呼称を使われることを歓迎する」と思われると困惑する。正しくは「ダウン症児の親の中には、ダウン症児に対して『ダウンちゃん』という呼称を使われることを歓迎する人がいる」ってことだと思う。ただ外側からそのカテゴリーを眺める人の中に、この「中に」と「人がいる」ってことをすっ飛ばしてしまう人がいるってことだと思う。まいるぜと思う時はよくあるけれど、まあカテゴリー自体には罪は無いかな、とも思う。
わたしは「知的障害児の親」という立場にカテゴライズされる時があると思う。ダウン症候群と呼ばれる21トリソミーに関しては、そこを要因として出てくる知的障害には実に個人差がある。軽度やボーダーに位置するダウン症児といっしょにカテゴライズされても困るときがあるということ。娘が実際にもっている知的障害を見てそこで必要な支援が発生するわけで、そこに必要なのは「ダウン症児」ではなく「知的障害児」というカテゴライズなんではないかと思う。
ただ困っちまうのは、外側からそのカテゴリーに対して一方的な見方を押しつけられて困惑するときかな、と思う。「知的障害児の親が、障害表記の『害』を『がい』にして欲しいと言っている」と言われると困る。正しくは「知的障害児の親の中に、障害表記の『害』を『がい』にして欲しいと言っている人がいる」ってことだと思う。ただ外側からそのカテゴリーを眺める人の中に、この「中に」と「人がいる」ってことをすっ飛ばしてしまう人がいるってことだと思う。そうかあ?とかは思うが、まあカテゴリー自体には罪は無いかな、とも思う。
カテゴライズやラベリングにより発生する「罪」というものは、障害に限ったことではないと思う。そのカテゴリーの外からの視線により発生している言葉だの言外のブラックだのグレーだのという意味だのがポイントであって、「わかった風なこと言ってんじゃないよ」的なことは大なり小なり発生してるんだと思う。
「障害」のカテゴライズが重要なのは、障害に応じた支援の必要性があるからだと思う。ダウン症は症候群の名称ではあるけれど、障害を言い表すのに適切ではないと思う。それは障害の要因となる症候群であって、その障害の状態や程度は個人差があるからだと思う。娘の障害に応じた、障害があることでもってしまう社会的不利を解決するためには、その状態に応じたカテゴライズが必要なんだと思う。そしてそのカテゴライズの名称を、わたしは「知的障害」だと理解しているのだと思う。過去に使われていた「精神発達遅滞」や「ちえおくれ」という言葉の「遅れ」という文字の意味として、「遅れているのなら追いつくのか」と言えばそうではない。やっぱりここは「知的障害」なんだろうと理解する。
いやしかし、そもそも知的障害という障害は説明に実に困難がある障害だとも思う。「知的に障害がある」その障害自体の特性はかなり個人差があり、そのレベルや出てくる状態状況にもかなりの個人差がある。これが身体機能のimpairmentやdisabilityと異なる部分かとも思う。欠かせないのは人的支援であり、その人的支援が必要であるということをわかってもらうためには「障害」を「障害」としてはっきりわかってもらうことが必要になる。そうでなければ「生きてる間はずっと支援者」であるこっちはうっかり病気にもなれないし、おちおち死んでもいられない。自分がこの「障害」というカテゴライズに特に心理的抵抗をもたない、もしくはもたなくなっていったのは、そのあたりが関係していると言えるかもしれない。
以前右足をうっかり捻挫しちまったときに、「痛い」と思うより先に「車の運転ができるかどうか」を自分の足に確認した。娘との生活の中で自分が運転できなくなることは非常にヤバい。自分の場合はそんな些細なことで済んでいるけれど、乳ガン発覚の友人が「温存だのなんだの考えるより先に、すぱっと手術をする方が先だった。自分がいない生活の中の子どもの状況の方がずっと心配だった」という話はとても胸が痛かった。同様の理由ですぱっと子宮を取った友人もいた。自分の子どもに対してカテゴライズをして助けて欲しいってのがわたしの中では本音だと思う。
ある一定の層がもつ不利がありその支援を考えるということで、「災害時要援護者」というカテゴライズが始まっている。各地で要援護者台帳の作成が始まっていて、自治体はみな試行錯誤を繰り返しているらしい。
災害時要援護者の避難支援ガイドライン/内閣府 防災情報のページ
要援護者の避難支援は自助・地域(近隣)の共助を基本とし、市町村は、要援護者への避難支援対策と対応した避難準備(要援護者避難)情報(以下、「避難準備情報」という。)を発令するとともに、要援護者及び避難支援者までの迅速・確実な伝達体制の整備が不可欠である。また、要援護者に関する情報(住居、情報伝達体制、必要な支援内容等)を平常時から収集し、電子データ、ファイル等で管理・共有するとともに、一人ひとりの要援護者に対して複数の避難支援者を定める等、具体的な避難支援計画(以下「避難支援プラン」と称する。)を策定しておくことが必要である。
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いわゆる「災害時要援護者」とは、必要な情報を迅速かつ的確に把握し、災害から自らを守るために安全な場所に避難するなどの災害時の一連の行動をとるのに支援を要する人々をいい、一般的に高齢者、障害者、外国人、乳幼児、妊婦等があげられている。
要援護者は新しい環境への適応能力が不十分であるため、災害による住環境の変化への対応や、避難行動、避難所での生活に困難を来すが、必要なときに必要な支援が適切に受けられれば自立した生活を送ることが可能である。
ここでいう「災害時要援護者」に入る人間は身内や家族に皆無です、という人はかなり少ないと思う。誰でもがいつか災害時要援護者に関係する可能性をもっていて、そして要援護者台帳に登録を希望するという可能性をも持っていると思う。誰もがそうそう、全くの他人事でもないかな、とも思う。障害者というカテゴライズを行ったとしても、「健常者」と簡単に二分できるものでもない。二分するために障害者というカテゴライズがあるわけではないとも思う。