steel-blueさんからトラックバック受信。ぴんぽ〜ん、はいはい呼んだ?なんちって。
ここでリンクしていただいているわたしんとこの文章中に、まあわたしも「甘えてる」って言われちゃったぜってのがあったんだけど。この「甘えてる」、これはケースによってもいろいろだろうけれど、基本は「甘えてる」糾弾をしてる相手と対極に(話し手が位置させている)気の毒な存在がある場合が多いんだろうと思う。話し手本人もしくは話し手が感情移入する「甘えてない」存在があるんだろうと思う。
誰に比較して「甘えてる」のか。わたしが言われたケースの場合は、話し手が「大学のときにボランティアをしたときに関わった子ども」が、その「甘えてない」対極に位置するんだろうと思う。要するに「あっちの方が全然大変なのに、アンタその程度で何甘えたことを言ってるんだ」と。
その「あっちの方が全然大変なのに」ってのは、この人がうちの娘とその生活の一端を垣間見ていて「アンタんとこは大変じゃない」ってとってるからだと思う。それは実は「アンタいい生活してんじゃん、不幸そうじゃないじゃん」ってことで、まあ褒め言葉と受け取っておくのがオトクな気もしなくもない。「あなたは知らないでしょうけれど」と、その「自分は知ってる」レベルが「大学の時にやってたボランティア」ということにかちんと来てしまって、そのカチンに対して単刀直入に「知ってるよ」とは言わずに「あのねウチも実は重度よ」って言ったわたしはけっこう意地悪なイヤなヤツなのかもしれない。いや多分そういうヤなヤツ思考から出た言葉なんだろうな、と。「重度」という言葉、こういう使い方はやっぱりよくないね、反省反省。
まあわたしもそんな風に相当ヤなヤツでもあるわけで。人のこたぁ言えないんだろう。ただ、steel-blueさんの言うこのことは確実絶対に「そうだ」と思う。かーちゃん同士のぐじゃぐじゃならいざ知らず、相談機関の現場で「甘えてる」はまずいだろと思う。
その次に根強く残るのは、「でももっと大変な人がいるでしょう。あなたは恵まれている。」かな。相談機関の窓口にこういう人がいるとつらい。
でも、立場的にいろいろな人を見ているので、その辺りの人よりこういうセリフを発しやすい環境に置かれてるんだよね...。
しかし、それ言ったところで問題の解決にはまったくならずに、相手の心が閉じる分だけ、相談機関という職分をまっとうしていないということに気がついてほしい。
(障害と「甘えてる」という言葉について。/発達障害メモ )
これで思い出したのはx0000000000さんとこ。リンクするぜリンクするぜ自動トラックバックはオンだぜ、またトラックバック飛んでくぜ、(ま〜たオマエかよ…)。へいへい〜。
高齢者問題は障害者問題か/世界、障害、ジェンダー、倫理☆
いま何かをしてほしい、支援する必要があるなら、それはその場において行われるよりほかない。その支援のやり方に個々の生の文脈を読み込むにしても(むしろそうあるのが適切な支援だろうが)、支援するということじたいは、個々の切り取られた現場で行わざるを得ないのではないか。
これは本当に基本線だろうと思う。全体を考えるということを、今それを言ってないよってときに「ごった煮」にされても承伏しかねる。steel-blueさんだって、そして言わせてもらえばわたしだって、全体を考えるってときはやってるよ。でもそれは今言ってないのね、同じ土俵に上がった同様のもしくはさらに支援度が急を要する人を現在進行形で「押しのけて」ってことではないわけだ。このあたり、「今そのカードを持ち込む場じゃない」ってことだよな、ことだよね、と思う。
そういや、ですが。娘は一歳半のときに知的障害の障害者手帳を申請しました。知的障害の障害者手帳の取得は原則三歳という線があるそうで。わたしはそれを知らなかった。周囲で「ダウン症の子は1歳児時点で申請ができる」と聞かされたから。娘がもつ権利というものを知りたかったのが手帳申請の背景だった。
乳幼児は知的発達に流動性があり、障害と決定すべき線は三歳時が適当であろうと。しかしダウン症の場合はその症候群から知的障害を予測することができ、早期の発達レベルのチェックで三歳児以前に手帳の申請を認める自治体があるからだ、ということを後で知ることになる。
で、この申請時、担当機関に電話を入れたらば。怒られましたよわたしは。「あなたはそんなにお金が欲しいのか」と。「小さい子どもがいる家庭はみんなお金に困ってるんです!」と。正直わけがわからなかった。なんで怒ってるのかもなんでお金の話になるのかもわからなかった。知的障害の障害者手帳取得が、特別児童扶養手当の受給資格につながる要素があることや、知的障害の障害者手帳取得で発生する税金の減免、自治体によっての各種手当てにつながること自体、知らなかったから。ちなみに担当の保健婦さんも、こここの自治体の手当てに関して知らなかった。知的障害児に関しての自治体の福祉制度も東京都の福祉制度も国の福祉制度も知らなかった。15年前の福祉はこんな姿だったのだ、とも言えるかもしれない。今じゃ考えられないと思う。時代は確実に進んでいるんだと思う。
この「オマエ金が欲しいんだろぉぉぉ」スタートも、要は「相談機関の人間が『甘えるな』発言をした」ということかもしれない。児童相談所ですからお金に困った「大変な人」がビジョンにあったんでしょう、きっと。障害ってだけで簡単に金もらおうと思うなよ、と。そういう意味で、まあ職務にある意味熱心な人だったと結果としては思いたい。
で。これはなんだどういうことだ問題はどこにあるのか、なんてことを考えるには最適なスタートだったようにも思う。怒られてびっくりして不快感も大きかったけれど、拾うべきものは拾ったので、後になってみればありがたい貴重な経験かもとも思う。少なくとも自分で調べるべきものは自分で調べるべきということを強烈に教えられた体験だった。
手帳取得に関しては。怒られたことにびっくりしちまって主治医に相談。主治医が特別児童扶養手当の診断書を作り、その担当機関に意見書と共に送付。手帳申請の書類を作らないならば、こっちで申請のための発達チェックをすすめてまたそちらに送付します、申請受理よろしくお願いしますと。担当機関は「全てこちらでやります」と回答し、その後発達チェックは担当機関で行われ手帳は無事取得しました。また、後で調べてみると、当時のこの自治体の3歳児以前の知的障害の障害者手帳申請にはムラがあり、全く申請受理していないわけではなかった。どうもあの怒り出した人が最初の窓口になったかどうかが、運の分かれ目だったみたいでした。