リツエアクベバ

satomies’s diary

「花」だの「天使」だの

屈辱のオセロゲーム/天竺堂通信

いっひっひっひ。すっげ〜おもしろかった。もっている障害ゆえに自分の手ではコマを扱うことが困難。対戦相手の手でコマを動かさせ、そして自分の勝利に向かって相手自身に相手のコマを自分の持ちゴマにするためにひっくり返させていく。

A君の腕前は、お父さんが鍛えた…と聞いた。「他人に負けない“何か”を身に付けろ」との教育方針で、オセロゲームを厳しく仕込んだという。
ゲームが終盤に入ると、A君は「そろそろ、固めていこうかね」と意地悪そうに笑う。布石を活かして勝利を不動にする、その“仕上げ”の合図だ。
A君の指示に従い、自分のコマを自分の手でひっくり返しながら負けていく、この屈辱。悔しい。とても悔しい。
屈辱のオセロゲーム/天竺堂通信

お父様、かっこいいよな、と思う。その教育がしっかり生きていることがすごいと思う。渡された教育を自分のものにしてるとこもかっこいい。
で、思い出して掘ってきたのがこのエントリ。

『世界に一つだけの花』という愚劣なタイトルの歌について/消毒しましょ!
勉強が出来なくても運動が出来なくても絵が描けなくても音楽が出来なくても人との関係をうまく築けなくても何にも出来なくても、あなたは「花」なんです、なんて煽てられたら何か特別なことをしなくちゃいけないと強制させられているようなものだろう。何も出来ない人は単に何も出来ない人であって、そのまま社会に出ても何の問題もないというなら構わないが、生憎とそうはなっていないから困ってしまうのだ。

ここで出てくる「花」をね、いわゆる知的障害児に使うことのある「天使」という言葉に置き換えると、ほらよくわかる。人間扱いされない特別視ってのは、時々本当にやっかい。善意をこめて「人間」にはしてもらえない。
発達には問題がある、知的能力に障害がある。でも社会の中で「人間」としてやっていくにはさ、障害自体を受容しながらも、それでもできる教育はしていかなきゃならない。子どもの心自体を守りながら。「人間」なんだからさ。
やってはいけないことはやってはいけない。簡単に習得できなくても、教えていかなくちゃならないことは教えていかなきゃならない。発達が追いつかなくても実年齢に応じた経験も積ませていかなくちゃいけない。だって「人間」なんだもの、「天使」じゃない。ピュアだのなんだのという言葉で奪われるものだってあるんだから。
ダウン症という特徴をもった症候群ということで、容貌からしていっぱひとからげにされることも多いけれど。その性格だって、性格傾向だのなんだのと「頑固だ」とかなんとかと、類型化されることは多いけれど。でもさ、わざわざ騒がなくたってこの子は世界にたった一人ってことはわたしは知ってるもん。それでもって、そこに逃げ込むなんてことはできないことも、わたしは知ってるもん。
さあてと。天竺堂さんとこの「A君」のようなことはできないかもしれないけれど。でも、わたしはわたしで娘が習得できることを考え続けていくさ。だってさ、「人間」だもん。通常の発達の世界でナンバー1にはなれないけれど、オンリー1には逃げ込めないもの、「人間」として生きていくためにはね。