リツエアクベバ

satomies’s diary

学校選択とか原則とか

5月26日更新分の編集画面に表示されるリンク元には、2ちゃんねるからのアクセスを示すURLがずらずらと並ぶ。パソコンからのリンクの場合はそれがどこのスレッドからのリンクなのかわからないが、携帯アクセスからのリンクの場合はこちらのアドレスが表示される投稿画面に飛ぶことができる。表示されないものもあり、全てを追い切れるものではないが、いろいろな意見にふむふむ。
こちらのエントリのURLが示されている投稿は、「その情報は違う、こっちで確認を」と促すもの。朝日新聞の「障害児は現在、特別支援学校に通っているが、障害の有無にかかわらず、すべての子どもが地域の小中学校の通常学級に通うことを原則とする。文部科学省が慎重な姿勢を示しているが、年内をめどに結論を得る」という文面から、な〜に〜〜?という感じの投稿に関して、「いや待て、このURLのエントリを確認して情報を収集した方がよい」という誘導を意図しているものだった。いくつかのスレッドの中で、特にふむふむと読んだ意見は障害をもつ子の保護者の投稿。「すべての子どもが地域の小中学校の通常学級に通うことを原則とする」という文面に対しての混乱など。
5月26日更新分は、まず情報に対しての正確に近い入手を、と思ったとこから記述した自分にとっても必要な記録だった。新聞報道のリンクは時間が経つと消えてしまうこともある。朝日に関して「アンタの言ってることは、アンタの文章だけでは意味がよくわからん」と思ったとこもあると思う。
まずこの部分。

  • 朝日新聞/障害児は現在、特別支援学校に通っているが、
  • 討議の資料として出された実際の「素案」/我が国における障害者に対する公教育は、特別支援教育によることになっており、

この部分に関しては、学校教育法改正前(特別支援教育という言葉が出てくる前)に、各自治体の就学指導の指針とされていた”昭和53年10月6日「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について(通達)」文初特第309号”というものの存在の影響がある。学校教育法に特別支援教育の項ができたけれど、実際の現場ではこの通達の影響が強く残っている要素は大きいと思う。
以下、知的障害部分と肢体不自由者部分だけ抜粋。

○教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について
3 知的障害者について
(1) 教育措置
ア 施行令の表知的障害者の項に規定する程度の知的障害者養護学校において教育すること。
施行令の表知的障害者の項において「精神発育の遅滞の程度が中度以上のもの」とは,重度の知的障害及び中度の知的障害を指し,重度の知的障害とは,ほとんど言語を解さず,自他の意思の交換及び環境への通応が著しく困難であって,日常生活において常時介護を必要とする程度のもの(知能指数(IQ)による分類を参考とすれば(以下「IQ」という。)25ないし20以下のもの),中度の知的障害とは,環境の変化に適応する能力が乏しく,他人の助けによりようやく身辺の事柄を処理することができる程度のもの(IQ20ないし25から50の程度)をいう。
施行令の表知的障害者の項において「精神発育の遅滞の程度が軽度のもの」とは,軽度の知的障害を指し,軽度の知的障害とは,日常生活に差し支えない程度に身辺の事柄を処理することができるが,抽象的な思考は困難である程度のもの(IQ50から75の程度)をいう。
イ 施行令の表知的障害者の項に規定する程度に達しない知的障害者特殊学級において教育すること。
4 肢体不自由者について
(1) 教育措置
ア 施行令の表肢体不自由者の項に規定する程度の肢体不自由者養護学校において教育すること。
イ 肢体不自由の程度が施行令の表肢体不自由者の項に規定する程度に達しない程度の者は,通常の学級において留意して指導するか又は必要に応じて特殊学級において教育すること。

つまり「分離原則」という通達が文部省からなされたという話。その後、学校教育法に「特別支援教育」の項ができた。

学校教育法 第8章 特別支援教育

ただ、文初特第309号のような「ここからここまでこういう風に対象」というような明確な規定は無く、昭和の時代に出された古いものとはいえ「文初特第309号」の視点に基づく指導はさらに続く可能性もある。
子ども本人にとって分離が良好となる場合もあれば、地域的家庭的事情や本人の障害特性と個性等などで「配慮のある統合」が望ましい場合もある。肢体不自由対象の特別支援学校において知的障害との重複障害をもつ児童・生徒が大半を占めている状況になっている現状の中で、「知的障害をもたない身体障害をもつ子どもの教育の場に関しての配慮」が必要になってきている状況もある。今後の特別支援教育にとって、「文初特第309号の先をいく原則」というものが必要になってきているということでもあると思う。
その点からみていけば、「『障がい者制度改革推進本部』第12回障がい者制度改革推進会議」で出された資料の【地域における就学と合理的配慮の確保】という部分は非常にわかりやすい。
ただし、この資料では「分離による弊害」ばかりが取り上げられていることに不満もある。特別支援学級や通級の柔軟な設置や参加等、ここで言えていないことはたくさんあると思う。「特別支援学級」と「特別支援学校」は、同じ文章の中に並列して記述すればいいということでもなく、「通常学級」「特別支援学級」「特別支援学校」の間でできるであろう配慮というものは山ほどあると思う。また、分離による「隔離」を前面に出すならば、「分離によるメリット」と「分離によって起きるデメリットへの解決のための配慮」に関しての視点を加えることも必要だとわたしは思う。障害については、個々によって望ましい支援や対応は千差万別というところがある。「分離による弊害」ばかりが取り上げられるのは「分離による心理的不安」ばかりをあおってしまうことにもなりかねない。また「分離」とは、「分離イコール差別」ではない。「分離」によって必要な環境や必要な教育を受ける権利でもある。
「すべての子どもは地域の小・中学校の通常の学級に就学し、かつ学籍を置くことを原則とし」というこの原則は、特別支援学級や特別支援学校に就学した場合の「その後」において重要な意味をもつ原則であるともわたしは思う。つまりこの原則が生きるならば、特別支援学級や特別支援学校に通う児童・生徒の「就学後の交流教育」を、堂々と考案していけるだろう「原則」になっていくという期待をわたしはもつ。横浜市における「居住地交流」に代表される取り組みは、もっと広く進められていいものだとわたしは思う。
就学や就学後の相談機関に関しても、「じゃ、誰が相談に応じるわけ?」という疑問もある。
横浜市特別支援教育に関する教育相談を行っている機関では、その相談相手について保護者からの感想はずいぶん差があったと思う。保護者側からその相談現場での内容を聞いて「そりゃ相手の言ってることとか態度とか、おかしくないか?」と思ったこともあった。この機関で相談相手として出てくるのは、教育委員会の職員としての立場をもっている方と退職校長が担う場合があるのだけれど、首をかしげるような対応の例を聞いたのは退職校長に多い。特別支援教育の現場から教育委員会に異動してこの立場の仕事をされている方の相談内容は、非常に納得がいくものであると思ったことも多かった。
わたしは娘の小学校入学時と中学校入学時にこの機関の教育相談を利用。初めて訪れたのは娘が6歳のとき、就学に対して不安がいっぱいの頃だった。この相談に関しても「教育相談とは名ばかりの教育指導」ではないかという疑念をうっすらともっていた。しかしこの時の相談は、そうした薄々もっていたわたしの疑念を全て払拭されるようなものだった。この相談においては、現住所となる地域事情学校事情等具体的に情報として渡され、また「分離によるメリット」と「分離によって起きるデメリットへの解決のための配慮」に関しての具体的な明示があり、就学後を具体的に考えていく視点をも教えられたところはあったと思う。「決定の通知はいつ頃になりますか?」という質問に、「決定? 決定はあなた方がするんですよ」と、ちょっと微笑まれておっしゃった姿はなかなか忘れられるものじゃない。また入学後には「分離によるメリット」と「分離によって起きるデメリットへの解決のための配慮」の二つが実現できているかどうか実際に確認に出向いてもくださった。「相談」とはこうあるべきものだとわたしは思う。
「資料 障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)(素案)」における「第三者機関による調整」という「第三者機関」に関しても、第三者であれば誰でもいいというわけではないと思う。広い視野視点をもった「第三者機関」が、求める時に「いつでも誰にでも」与えられることを望みたいと思う。