リツエアクベバ

satomies’s diary

先生の異動

3月31日は、県内の公立学校の教員の異動の新聞発表がある日。新学期の離任式の準備のために、ちっこい文字をつらつらと眺める日。さて娘の学校の先生たちはどう異動されたのか。学校が並んでいる中で特別支援学校の記載は最後の方。記事の最後の方からつらつらと眺める。
わあ、と思わず声が出る。ねえねえねえねえ、と息子を呼ぶ。ねえねえ、あの先生が先生辞めるんだってさ。
特別支援学校の異動の欄のすぐ上に、一般教員の退職の欄があった。そこに娘と息子が通った小学校名と共に、息子が5年生の時の担任の先生の名前があった。息子が5年生の時の担任の先生、新任だった若い男性の先生。あれから3年しか経ってない。
なんで?なんで?と息子も驚く。わからない、理由があるんだろうねえ。そうかあ、とか思いながら、そうだ!と思いつく。ねえねえねえねえ、今日は3月31日で。退職は3月31日付けだから、今日はまだ先生、学校にいるよ。会いに行こうか。今日を逃すともう会えないよ。
小学校に電話を入れる。アポを取る。あのさあのさ、2時から学校で送別会やってもらうんだって。2時半過ぎには終わるらしい。3時半頃に帰っちゃうって言ってたから、3時過ぎに学校に行くって言ったよ。あとで行こうね。
娘と息子を連れて小学校に行く。わあここ、久しぶりだねえ、懐かしいねえとか言いながら。
先生が来る。息子を見て開口一番、「背が高くなったねえ、わあ追い越されそうだ」。170あるかないかの身長の先生は、この一年でけっこう伸びた息子の身長にそんなリアクション。足もでかいよ、と言うと「いいなあ、180いくんだろうなあ」とかなんとか。
「中学はどう?」と息子に聞く。「数学はついていけてるか?」。あははご自身が文系なもんだから、最初に数学が出てくるか。息子と先生が話すのを聞いた後で。「あのね、数学はまあなんとかなってるの。やっぱり弱いのは国語、だから国語と社会にけっこう苦労してるわ、本人なりにがんばってるんですけどね」と答える。「やっぱり弱いのは国語」と言った途端に「ああ」という表情になるのは、まあさすがに担任してらした先生だなあと思う。
退職の理由をお話ししてくださる。ああそうかあ。と、いろんな意味で納得する。この小学校で教員をやってらしたのは結局3年間。「でも最初の一年目に担任したクラスがやっぱりなんか思い入れは一番強いですね」と。そうかあと思う。先生は先生を辞めるかもしれない。でも息子にとって先生は先生で、この方が息子の5年生のときの重要な登場人物だったことにはずっと変わらないだろうなあとも思う。来て良かったね、話せて良かったね、と言いながら帰る。
それともうひとつ異動に関しての「おお」。娘の特別支援学校の教務だった先生が、別の特別支援学校の副校長になると記載されてた。その校名を見て、これも息子に「ねえねえねえねえ」。
ちょこちょこと娘の学校に顔を出す息子はこの副校長になる先生を知っていて。そしてこの先生が副校長に就任する特別支援学校には、息子が3年生の時に担任だった先生がいる。息子の知っている先生と、息子が担任してくださったことのある先生と、新しい職場でいっしょに仕事をする。この偶然になんかちょっとワクワク。
3年生の息子の個人面談のときに。あらかた息子の話をしてから、先生がちょっと迷った顔をして、そして「ちぃちゃんの話を聞いてもいいですか?」と。娘について知りたかったこと、わたしが娘のことについてどういう風に考えているかとか。そしてそうしたことを聞きたかった理由という感じで話し出されたことに驚く。
この先生は、元々は就学前の知的障害のある幼児の療育機関の指導者だったのだと。その幼児たちを就学に見送りながら、ある日決心したのだそうだ。学校でこの子たちの教育に関わりたいと。それから教員採用試験を受けて小学校の教員になったのだと。
小学校の教員になられてからは、障害児学級と通常学級の両方の担任を経験してらした。うちの小学校に異動されてきてからはずっと通常学級の担任だった。そのうちの一年が息子の3年生のときの担任。
その後、特別支援学校に異動の希望を出されて特別支援学校に異動されていった。離任式の挨拶では「わたしは養護学校に行きます」と。「みなさんに知っていて欲しい、そういう学校があるということを」と、子どもたちに一生懸命話されて異動されていった。担任していただいたことのある先生が、こんな風に特別支援学校を熱っぽく語るのを聞く経験をした息子はしあわせだと思う。