リツエアクベバ

satomies’s diary

ホワイトデー考

 ちょっと前に読んだ霞先生んとこの記事、どれだったっけ、とブログ内検索で掘り起こし。あったあった、コレだコレ。

ホワイトデーって“Un-global”/特殊学級担任の“ここだけの話”
「僕の国では3月14日には、何もありませんよ。アメリカにもイギリスにも、“ホワイトデー”ってありませんよ。」
「“ホワイトデー”って、日本と、もしかしたら韓国ぐらいしかやっていないはずですよ。」
ヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェヘェ!

 この「ヘェ」の連呼に逆に驚く。え〜〜〜〜、そんなにジェネレーションギャップ感じなきゃいけないほど年齢差無いじゃないよぉ。そういうもんか?そういうもんなのか?
 そうか、そうだろうなあ、わたしが中学生のときには霞先生は小学生だし、わたしが高校に入りたてのときは霞先生はま〜〜だランドセルしょってるはずだし、男女差ってのもある、そんなモンかもしれない。
 「ホワイトデー」なんてね、無かったよ、そんなものは。非常に一方的なモンだった、バレンタインのチョコってのは。中学だったか高校だったかのときにティーンズ雑誌で、この新しい「お返し行事」の話題は出たけれど、この当時、日にちだの命名だのってのはもう混乱状態だった。命名はとにかく雑多錯乱状態で「マシュマロデー」だの「クッキーデー」だのってのが最初の主流だったと思う。日程も最初は何日だか忘れたけど、2月の月内だったと思う。全てお菓子業界が「二匹目のドジョウ」を狙って混戦状態だった。

全国飴菓子工業協同組合「ホワイトデー公式サイト」
石村萬盛堂マッシィロマン/ホワイトデーはマシュマロデー
そもそもバレンタイン・ホワイトデーとは/CityDo!

 でさ、こういう「商戦背景」に、こんな行事に便乗してお返しする男ってのは「かっこわるい」ってイメージが中心だった、と思う。だからひたすら騒いでるのは女の子向けのティーンズ誌とお菓子業界だった、と思う。バレンタインのお返しってのは、要するに「チョコを受け取る気持ち」とその表現であって、モノの受け渡し行事ではなかったんだよね。
 商戦と、その行事が定着していったのは、確か「上司からの義理チョコのお返し」だったと思う。お菓子業界ではなく、デパートが商戦を仕掛けた、そしてそれに乗って、上司の妻がお返しを考えるようになった。上司の妻が「コレ持っていきなさい」と亭主に渡す。つまりこうした行事に便乗した物の受け渡しなんてのを考えるのは、根本は女性の発想なんじゃないかと思う。またホワイトデーが定着していったからこそ、バレンタイン行事もまた大きくふくらんだとこが、なんともねえ、とは思う。
 また、間にバブリーな時期をはさんだことも、ホワイトデーの行事定着に拍車をかけたってことだと思う。バブリーな時期は、男性はひたすらせっせと女性への贈り物に金を使った。行事だの日程だのってのは、もうなんでも良かったんだと思う。このバブリーな時期で「ホワイトデーなんて行事に参加する男はかっこ悪い」ってのが消えていったんだと思う。
 かくして、わたしは「ホワイトデーにどこか疑いを持っている世代」だと思う。だからチョコあげるって行為がなんかどこか、無償ではないものになっていったのがヤだなあ、とも思う。
 学生のときに、家にいたら後輩の男の子たちから電話があった。4人で飲んでたんだけど、みんなお互いの財布をアテにしていて、気づいたら誰も金が無い、店を出られない、助けてくれ、と。しょ〜〜がね〜〜な〜〜、と思いつつ、家を出る。新宿の地下街を通ったら、バレンタインのチョコ売り場が臨時で出店、2月12日とかその辺の頃だったと思う。ソレ見て「よし」と思って他愛もない金額のものを4個買う。店に着いて何も言わず座る前に彼らの目の前に一個ずつチョコを置く。
 このときの彼らの喜びようがものすごく新鮮でねえ、ああ男の子ってのは大変なんだなあ、と。バレンタインに一喜一憂、させられるモンなんだなあ、と。だって相手関係無いんですぜ、配ってるわけで「あなた特別仕様」でもなければ、配る相手は「金づるねーちゃん」ですぜ。で、こういう単純に喜ぶ顔見るのって楽しいなあ、と。
 そういう「単純に喜ぶ顔」ってのを見る楽しみに対して、マイナス効果かけるものだよなあ、と思う、ホワイトデー。だって、「単純に喜ぶ顔を見たい」って動機を無償行動ではなく有償の意味つけちゃったもの。
 だからさ、バレンタインもホワイトデーも、物の交換になるんなら、その物はお菓子にとどめるのが正当だと思う。お菓子の交換程度でうふっ、と喜ぶ行事かな、その程度にしとけよ、みたいな。
 ちなみにわたしはキャンディより、マシュマロより、クッキー歓迎タイプです。