リツエアクベバ

satomies’s diary

学生終了

2017年が始まりました。ぶーこらぶーこらウェブになんだか書き残すようになったのがミレニアム頃なので、あと数年で20年くらいどーたらこーたらやってきてるということになる。最初に作ったサイトはブロバイダのサービス停止によりウェブから消えました。別のサーバーを用意しようかとは思ったが、個人テキストサイトの時代はとっくに終わってるし、過去の遺物的コンテンツばかりなのでやめた。
gooの方のブログはまだアクセスが定期的にあるらしい。なんでもちょっとした検索で上がってくるらしい。閲覧した方からメールで連絡がくることもある。これももう10年以上前のものばかりなので再読は赤面しそうな部分がある。しかし再読はしない。あの、死んでしまった友人の陰がちらちらしてヤバい。
個人サイトの頃は子どもたちは小学生だった。娘のこともよく文章に残してきたが、息子のことも書いてきた。いわゆるアクセス数というものを稼いだのは息子ネタの方だと思う。現実の息子の人格とは別にうちの坊やイメージをもっている人は一定数この箱の向こうに存在すると思う。成長しながら姉の障害を理解したり受入れたりしていき、サンタに夢を持ち続け、お勉強もたいしてできる方でもないし特にどうという取り柄もない。しかし母とのコミュニケートは素直でおもしろい。「おくさん、おくさん」で爆笑した方も多いと思う。本人の知らないところで母に勝手に初恋を詳細に暴露されたりもした。高校受験のときは、たくさんの人に応援をいただいた。この人、この春、大学を卒業します。
息子ネタを書くのをやめたこと。本人は文章読むのが大嫌いなので個人ブログなどとんと読まない。SNSも自分からの発信はしない。携帯をもたせたのもiPhoneをもたせたのも早かったが、前略うんぬんの時代の頃から全くこの手の世界には入らない。しかし、同世代の友人たちはどんどん入り込んできた。娘を知っている人ならわたしの文章の端っこくらいですぐにわたしも娘も特定できると思う。息子ネタを息子にバレるより、息子友人に息子ネタが特定される方が息子に対して迷惑な気がしたのでやめた。
高校受験がうまくいき、大学受験は早くからチャレンジ姿勢で臨んでいた。部活も下手なりに頑張ってた。早起きして朝練に行き、部活終わりで塾に行く。とにかくよく頑張った3年間だったと思う。しかし大学受験はうまくいかなかった。センター試験が目前に迫った日程で、滑り止めをセンター受験で締め切りギリギリで出願し、その滑り止め校を上位層で合格ラインにのせた状態で大学を受験し続けて全部落ちた。一校だけの合格通知を手にしたが、通行手形のようなもので他の受験をしていたために「喜ぶ」というタイミングを逸したまま大学受験が終わった。
偉いなあと思って見ていたのは。大学生活で「どこどこ大を受けたが」という話を一度もしなかった。入学直後の所属学部学科のなんだかとかの学力テストで上位10人が表彰されるとかいう行事があった。スタートから成績よくなりそうな学生をあげて、給付奨学生に向かってほら頑張れとかいうものみたいだった。そのメンバーの中では「何処大を受けた」とか「一浪して結局ここだった」とか、そういう会話があったらしい。そうした会話がある中で、落ちたのは事実なんだからそんな大学名を言うのはナンセンスというスタンスだった。
表彰されたことに対しては、たかが受験勉強の名残で出た点数だ。受験勉強なんてものは繰り返しの訓練だ。これから新しい勉強が始まる。新しいものに対してのスタートは、どうせ自分は出遅れる。こんな表彰はたいしたことなんてないんだよ、と。そうかと言いつつ、並んだ写真のイケメンのことばかり聞く母に失笑する坊やでした。そんなスタートで始まった大学生活は。給付奨学生など雲の上で手なんか届かず。成績はトップ層ではなく、でも上の方という順位で四年を終える。華やかな大学生活ともいえないような、まあふつうの理系男子大学生という感じ。
就活は大変で、しかし見ていて興味深いことばかりだった。そこそこうまくいくが、最終面接までたどりつかない。階段を中くらいまで登ったところで突き落とされる日々が続いた。そうした一部上場企業チャレンジに疲れてきたころ、「呼ばれるところがどこかにあって、呼んでくれるところにいければいいよ」という母の言葉に素直に耳を傾ける頃、おいでといきたいがつながった会社に呼ばれることになり、彼の就活は終わった。
もうすぐ学生終了。今、卒業研究の仕上げの段階みたい。実験用だとかでうちに研究室所有のNexusとかのAndroid端末がたくさん。そういう学科のそういうヤツ。そういう社会にいってやっていけるのか、母はまだまだずっと心配。まだまだ人生は続いていく。