4月に父が亡くなり、もろもろいろいろと駆け抜けたような日々。新盆を終えてやっと落ち着いたような感覚。もう少ししたら一周忌の準備にとりかかる。
母と姉とわたし。女三人。なるほどな、と思うこと。両親に育てられ一緒に暮らし。でも現在のわたしたち三人は現在、なんというか、「文化」が違う。
母は、新潟に生まれ新潟で育ち、結婚して東京に暮らして50年以上経つ「東京の核家族の専業主婦」。冠婚葬祭のマナーみたいな事典に書かれていそうなことを、「これはこうでいい」というような現代風な解釈でいこうとするところがある。「しきたりとしてこういうものにそういうことを書くかもしれないが、そんなにそんなこんなじゃなくていい」。
姉は、オーストラリアで暮らして30年ほどが経つ。元々和食が好きではないこともあり、姉が帰ってきて台所に立ってくれると、出てくる料理は「外国人の奥様料理」だったりもする。仏事関連については無知ではないが、日本の習慣について忘れていることも多い。
わたしは。結婚する時に自分の生育歴の中では「未知の世界」でもあって、結婚しちゃヤバいんではないかと真剣に悩んだこともある「旧家の長男の嫁」さんという立場にある。オマケに夫の姉と妹が寺に嫁いでいる。この義姉夫婦と義妹夫婦と共に姑を送ってもいる。「冠婚葬祭マナー事典」に記述されているようなことは、けっこう頭に入っているよなとも思う。
母と姉と共に父の葬儀や法要やらやって。正直(え?)と思う感覚がいくつかあった。これがわたしんちなんだなと思って、まあいいやと流すこともいくつかあり。それをふと、今の自分のカルチャー的な目線で見ていることに気づき、自分たちに流れた年数を思ったり。
基本、(え?)と思うことに関しては、そこそこいいんじゃないかと思うことは全部流した。ただ、外に向かってそれは恥ずかしいかもと思うことは「それはね」とさえぎった。それに対して姉は「そうか」とすぐに納得し、母は「そんなこといいのに」と口を尖らせた。いやー、母が母で姑じゃなくてよかったと思う。
葬儀は東京で執り行ったが、49日法要は新潟で。その時に父方の祖父の親戚筋にあたる料亭を使った。この料亭、上とか下とかでいえば相手が目上に当たる間柄で、家としてとても古い。父を介さずに連絡をとったことは今までなく、お料理の注文等でお電話する時にとても緊張した。
その時に軽やかに対応してくださった女性がわたしに「嫁です」と告げたことがあり、その時に一気に気が楽になった。声の感じでいえば、わたしより少し若い。こんなに古い家で「嫁さん」やってるんだなあと思ったら、なんか彼女の歩いた道筋に小さな親近感を覚えて素直に相談ができた。
「父に恥をかかせないようなお料理をお出ししたい、席次についても相談にのってほしい」。
事前にいろいろお話しできて、お会いするのをとても楽しみにしていたのだけれど、49日当日は彼女は「佐渡に研修に」行ったそうで。「お会いしたがってましたよ」と言われてうれしく思った。
そして新盆でやっと彼女に対面。彼女もサラリーマン核家族家庭育ちで、結婚する時に全く違う環境の義実家に緊張もしたそうだ。今はいろんなことにすっかり馴染んでしまい、この環境での感覚が自分のものになっていってるような気がすると。たくさんの言葉を使わなくてもわかる「アレ」みたいなものがあり、初対面なんだけれどきゃっきゃ的に会えたことがうれしかった。