リツエアクベバ

satomies’s diary

なるほどね

子どもを育てるときに、自分の人生を生き直す感じがする。すっかり当たり前になってしまっていた季節の折々を子どもといっしょに感じ、子どもの成長の中で遠く忘れてた自分の歩みを思い出す。

息子が「お世話になりました」と言って家を出た。ちょっと一人暮らしがしてみたくてとかの意識ではないのだ、と思った。彼は、ちゃんと独り立ちを計画して実行したんだね。
ああ、本当に子育てが終わったのだと、結婚式のあとのような感じがする。彼の部屋にはもう「現在」が無い。

洗面所や風呂場に、彼の使うグッズがいろいろあった。それが引き上げられて、入れ物が残ったり。いろいろなものを片付けていく。

片付けていきながら、(ああそうだったのか)と思った。

わたしが結婚したとき、父がわたしの部屋のものをどんどん捨てた。「わたしの部屋」だと思っていたから。母もわたしのものを置いてあると思っていたから。父がどんどん捨てる様に母が悲鳴を上げた。

わたしは、父にそういうスイッチが入ったらもう無理だ。あきらめるものはあきらめる。と、母に言った。父のモラハラ的な一面にはとっくに慣れている。なにかきっと、わたしの結婚に、わたしの結婚式に、気に入らないことがあったんだろう。そのくらいにしか思ってなかった。そしてそのくらいのことだと、わたしはまた、父をそのままに受け止めていた。

息子の「現在」が無い入れ物を片付けながら。ああそうだったのか、と思った。父は、さみしかったのだな。わたしが家を出て。

結婚前に夫の両親との「顔合わせ」のときに、父が先方の親に言った。
「この子がいなくなると、うちは火が消えたようになる」

そんなことを思っていたのか。そんなことを口に出して言えるひとだったのか。と、この時思った。

そして今、思う。ああ、あの日。わたしの部屋のものをどんどん捨てたあの日。父はさみしかったんだね。
わたしは、息子が大人として家を出たことがさみしいよ。
でも、親ってのはこういうときに「さみしい」って言ってはいけないものだよねと思う。おとなしく「過去」になるのがちょうどいい。