リツエアクベバ

satomies’s diary

「ジョゼと虎と魚たち」その2

セフレもいる、典型的な「キャンパスのかわいい女の子」となんだかうまくいきそうだ。みたいな「恋愛にも性生活にも不自由してない大学生の男の子」。初恋のドギマギなんぞ、それを経験したのはいつだったけかというくらい、自分自身のその感覚はかなり遠くなってしまっている。そんな男の子、恒夫。そして祖母に隠されるように生活している、自分のことを「ジョゼ」と称する足の悪い女の子、くみ子。
この二人が織りなすストーリーとシーンには、恋愛のあらゆるシーンがつまっているんじゃないかなあと思う。特に初恋みたいなものとはとっくに遠いところに来てしまったみたいな恒夫までもが、恋のさざなみに踊らされるようなとこが好きだと思う。そのひとつが出てくるのがこの動画。

3分30秒あたりから始まる「指」のシーン。ふれるふれあうという男女での行為の中で、こうした初めて相手の体の一部にふれる時の、その、相手にふれた小さな部分が心に大きな波を押し寄せていくような。そういうシーンを「ジョゼと恒夫」の世界の中で、この映画は実にうまく盛り込んでいると思う。
この指のシーン、始まったかと思ったらあっという間にぶった切られる。始まり出しそうな恋の息の根を止めにさっそうと天使がやってくるからだ。「女の子らしいピンク色の装い」「女の子らしい笑顔」と共に「福祉」という言葉を正義ワードとして携えて。「福祉」という言葉がもつある1つの色を、実に見事に使ってくる脚本だなあと小気味がいい。
ここでやってくる「ピンクの福祉天使」は、ここでは思い通りに恒夫とジョゼの恋を潰すことができる。「福祉」と「優しさ」とをちらちらさせながら、自分とジョゼとの間に格差があることを見せつける。この後の雨のシーンはとても切ない。これが恒夫とジョゼの最初の別れ。「ピンクの天使」は手を汚さずに恒夫をジョゼから遠ざけることに成功する。
しかしそれでもジョゼと恒夫の始まりかけた恋に対して完全に息の根を止めることはかなわず、紆余曲折あって、その後恒夫とジョゼは一緒に住み始める。
そして。「福祉」という言葉は一度も出ては来ないのだけれど、というシーン。それが「ピンクの福祉天使」香苗とジョゼの直接対決の場面。

「正直、あなたの武器がうらやましいわ」
「ほんまにそう思うんやったら」
「思うわ」
「アンタも足、切ってもうたらええやん」

ここで香苗がばっしーんとジョゼの頬をひっぱたくんだけど。わたし、ここの香苗は好きなんですよね。ばっしーんとジョゼの頬をひっぱたく。ジョゼが手をあげる。そうすると香苗は、自分の頬をジョゼがひっぱたけるように腰をかがめるんだな。で、ジョゼが香苗をひっぱたく。そして香苗がまた、ジョゼをひっぱたきかえす。
なんかね、このシーンの香苗のジョゼに対する動きこそ、「福祉」みたいな感じがするんだな。ハンディ、障害、まあそういうものを間にして、人と人が同じところに立とうするような、そのための支援、みたいな。そこにやさしさとか同情とかそういうものが美しく入るのではなく、きちんと支援が成立することというか。言葉にすると難しいけど。
登場人物の身体に障害がある。そこで出てくるワードのひとつとして「福祉」はもちろんあるだろうけれど、それをおもしろい使い方で出してくるよなあと観る度に思う。
このジョゼと香苗の決闘シーン。二発目?という感じでジョゼが手をあげるんだけど、この時のジョゼの手は、開いてないんだよね。一発目はやる気まんまんで手を開いてる。でも容赦なく、いやーホント、容赦なくという感じでやられた二発目の後なんだけど、ジョゼの手は一発目の時の手と違う。そしてこの時の香苗の顔と、去り方。
このあたり、ねえねえ香苗ってばどう思ってたんだろう、ジョゼってばなんで二発目は手が開いてなかったんだろう、とか。けっこう盛り上がれるポイントではある。そしてその、けっこう盛り上がれるポイントである時に、もう障害だのなんだのってことは関係なくなってる。それがね、香苗が腰をかがめて「自分たちをフェアにした」ことが前提になっているんだと思う。