リツエアクベバ

satomies’s diary

ずっと考えてたんだけど

知と恐怖心について/あんたジャージでどこ行くの

 「知る」ことって、怖いよ。さらに知ることで解決を得られることばっかりじゃないもの。知ったって知ったって、その先に解決つかないことがそびえたってることはいっぱいある。
 「知ることが恐怖につながる」で真っ先に思いつくのは「第一子に先天性の障害があったケースの、その後の妊娠」だと思う。
 第一子に先天性の障害があった場合、そのことでいろいろな先天性の障害や難病等の知識が増えちゃう。そういうハンディの無い子が生まれる可能性が見えなくなる。自分、そういうハンディの無い子産んだことないし。それにだっていろんなケースあるじゃないの、知らなかった知らなかった知らなかった。知らなかったら怖くなかった。だって、知らない人はみんな怖がってないじゃないか。なんてとこはある。
 そんなのは一例。知るってことは解決がつかないことが存在することを知るってことでもある。一人の人間がとても太刀打ちできないことが存在することを知るってことでもある。
 でも。わたしは知りたいんだ。一人の人間がとても太刀打ちできないことは存在する。その存在から逃げるのがイヤだと思うのかな。
 でもって忘れたくないんだ。忘却という救いに対してじたばたと抵抗する。知るということは存在を認めること。そこから逃げたくないんだ。知ることで感じる「解決のつかない壁」は宿題にする。いつ手をつけられるのかわからない終わらない宿題。