リツエアクベバ

satomies’s diary

息子の成長メモ

  1. 4歳かそこらで「オマエのねえちゃん変だ」と言われて「変じゃないもん」と泣く。「あら変だよ」と答える。「でもちぃちゃんはちぃちゃんだよ。わたしはちぃちゃんが好きで、そのことに何の影響も無い」と答える。
    • 「変」は「変」だと、誤魔化すことはないと思った。
    • 知識として親が教える段階ではないと思った。
    • 「変じゃない」「変だ」とわたしと息子がやりとりしてるとこで、娘はなんか変な歌を歌って踊ってました。
  2. 年長の2月、幼稚園で3年間同じクラスだった「胸に姉と同じ手術跡がある友達」が死ぬ。葬儀に出席。棺の前で人が泣くのを見て「白雪姫みたいだね」と言う。「でももう起きない」と死を認識する。
  3. 就学。新一年生を迎える会で、障害児学級の子が稚拙な出し物を出す。外側から姉を見て、今まで屈託無く障害児学級に出入りしていたのが、数ヶ月間教室に入れなくなる。1年生の終わり頃からまた入るようになる。
  4. 「ちぃちゃんはなんで変なの?」と聞くので「アンタが知りたきゃちゃんと教えてやるよ」と言うと「まだいい」と答える。
  5. 2年生の時、軽い肺炎になって町医者で点滴を初めてしたときに、その医師が「泣かずにできるね」と。「さっき特殊学級のバカの子でも泣かなかった、だからキミが泣いてはダメだよ」と。こういう発言を息子にしたことに対して医師に抗議(医師は娘を知っていて、うっかりこの時そのことを忘れた)。医師は娘に対してはいつもよくしてくれていたけれど「あなたがどう思おうと世間なんてそんなものだ」と言い放たれる。この時に「おかあさん、人は時々ちぃちゃんのことをいろんな風に言う。でもちぃちゃんはちぃちゃんだよ」と息子が言う。母、泣く。「あの医者んとこ、もう行かね〜から!」と言うと、「ああ行かね〜、行かね〜」と答えてかかりつけ医を変える。
  6. 3年生の時、姉の障害児学級に異動があり、新しい先生を「オバサン」呼ばわりする。「この先生がちぃちゃんの新しい先生よ」ときちんと紹介すると「先生」と呼ぶ。自分に紹介をしてもらわないと姉に関わる相手は認めないという態度はこの後数年続く。
  7. 4年生くらいから積極的に障害児学級との交流活動に自主参加し始める。自分ではこのことを話さず、担任の報告で聞く。
  8. 姉が小学校を卒業するにあたって、進学先に養護学校の中学部を選択。この進学先を「自分に相談せず勝手に決めた」と怒る。娘の入学式に自主的に出席し、この時学校内を見て回り「この学校でいい」と言う。入学後、姉の担任の家庭訪問を「僕の都合のいい日にして」と言い、家庭訪問時担任に自分から挨拶をする。
  9. 姉の養護学校の行事にほとんど参加し、先生たちにも覚えられる。
  10. ドラマ「たったひとつのたからもの」放送がある。この時にドラマの流れに沿ってドラマを見ながら母の体験を話し、ドラマに沿って初めて「ダウン症」という語により姉を理解する。
  11. 姉の養護学校の高等部の生徒を見て「障害は治らない」と認識する。今まで「大きくなったら改善する」と漠然と思っていたことが判明する。成人のダウン症者を斜めに見るようになり、自閉症者が特に苦手な存在となる。自閉症者特有の動き等嫌悪する時期があり、姉の学校の行事に参加できなくなる。
  12. ドラマ「僕の歩く道」放送がある。このドラマを見ながら母に自閉症を説明され、自閉症者に対しての苦手さが若干緩和される。
    • このドラマを見ながら「おかあさん怖いよ」と言う。「自分が大人になって子どもを持つようになったら、と思うと怖い。普通の子は生まれないんじゃないかと思う」と言う。「それは誰にもわからない。わたしだってアンタ産むとき怖かった」と答える。「ただどんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していくことだと思うよ」と答える。
  13. 仲のいい同級生に「小学校から養護学校に進学し、周囲が知らないダウン症児の弟がいる」ことを知る。向こうからその話を振られ、きょうだい児としての会話をこの同級生とするようになる。この後、障害児学級に自閉症児の弟がいる「兄」という立場の別の同級生と、きょうだい児としての会話を自分から振ったりしていた様子。この「兄」はASだと先方の母親から聞くが、息子は全くわかっていないし違和感をもっている様子も見られなかった。
    • ダウン症児の親のグループのレク行事にはずっと積極参加。きょうだい児として認識する人間関係は今までもあったけれど、きょうだい児としての会話をしたのはこの時期が初めて
  14. 「おとうさんとおかあさんが死んだら、ちぃちゃんはどうするの?」と聞かれる。「そのことに対して、おとうさんとおかあさんはいろいろ考えて準備していく。アンタはおとうさんとおかあさんが死んだ後に『ちぃちゃんが盆暮れとかに帰るとこ』になってくれたらわたしはうれしいと思うけどそれは今決めることじゃない」と答える。
  15. 中学進学。熱心に部活に参加し「部活は休んじゃいけない」と言いながら、部活よりも姉の運動会出席を優先する。自分の同級生の「弟」の徒競走を応援しながら、この運動会よりも部活を優先した同級生に対しては「仕方ないんじゃない? いっしょに来られたら楽しかったとは思うけどね」などと大人びたことを言う。
  16. ダウン症は長生きできなくて早く死んじゃうの?」と聞く。学校で友達にそう言われたと。ダウン症児が合併症を治療してもらえなかった時代のことを話し、「今は『早く死んじゃう』とは言えないが、アンタのおじいちゃんおばあちゃんと同じくらい長生きできるかどうかはわたしにはわからない」と答える。
  17. 息子が通う中学の障害児学級在籍の子について。自分と違う小学校から来た子たちが、障害児学級の生徒のマネをして遊ぶんだよ、と言ってくる。現在この障害児学級には、わたしが小さい頃からかわいがってきた子がいるので、すかさず「○子になんかするヤツがいたらすぐ報告しろ」と言う。「そうくるかよ」と言われ、非難の視線で見られる。
  18. 「わたしは記憶に無いんだけど、中学の生物で遺伝の勉強するときに染色体異常のことを聞いたのが初めのダウン症という言葉の記憶、って人は多いよ。アンタも中学でやるかしらね」と言うと、「今の個別(個別支援学級の略、障害児学級のこと)にはダウン症の子が3人もいるから、ちょっとそんな話はできないんじゃない? ○○中(障害児学級の無い隣の中学)だったらやるかもしれないけどね」なんてことを言う。
  19. 「アンタ小さいとき『ちぃちゃんは変じゃない』って泣いたんだよ」と言うと、表情ひとつ変えず「変だよ」とさらっと言う。「ちぃちゃんは変だけど、おかあさんも相当変だ」と付け加えられる。

*追記:点滴のとこ、年齢まちがえたのを急に思い出して訂正。