リツエアクベバ

satomies’s diary

学校で懇談会

 娘の学校で「先輩のおかあさんの話を聞く会」みたいな懇談会。なんつ〜の、パネリストっつ〜の? コメンテーターっつ〜の? そういうので出席。
 こんな話が聞きたい的な事前アンケートで、希望としてあがってくるのはやはり思春期のこと。アンケートとは別に、保健室の先生に個人的に「女の子の初潮に向かっての準備の話を聞きたい」という要望があったそうで、「よろしくね」と頼まれる。
 知的障害がある女の子に対しての思春期の体の変化に伴う成長上の支援や準備、教育。「よろしくね」ってことだったんだけど、自分がべらべらとしゃべるのではなく発言の機会を振って他の人の体験を聞きつつ。また、保健室の先生に自分が入手した情報を元に具体的な教育の要望など。女性性に対しての意識の線を早くから成長上に具体的にイメージ化させていくこと、そこからの可能性とか。娘の第二次性徴の小さな芽の時期からのことを話す。
 体験を聞きながら、障害からくる特質の個性もかなり影響するのだろうとも思う。感触に対しての抵抗から、ブラジャーを嫌がり取ってしまう、生理用品を取ってしまうなどの話が出る。生理中の紙オムツの使用とか、いやパンツ型タイプの生理用品の使用になるのか。
 生理用品といえば。セッティングのズレからくる漏れの防止にでかいタイプを、と言われることが出てきて。わたしとしては抵抗が強い。ズレの漏れによる汚れは洗濯すればいいけれど、もこもこ股にして当然みたいな感覚に近づくのはイヤだなあと思う。自分でできます方針目標のためにもこもこ股にさせられるのと、根気よくズレを防止していく使い方を指導していくのと、わたしは完全に後者なんだけどな。たいがいは上手に出来て、たまにズレちゃうときのためにもこもこ股にさせられるのはイヤだと思うんだけどな。
 ただ女性の体にも個性があって、生理が重いタイプの先生は日によってもこもこでかめナプキン使用は当たり前のことと、抵抗の差を感じる。多分わたしが重くないタイプだから余計に感じることなんだろうとも思う。だいたい先生に言われるまでレギュラーサイズしか買ったことなかったし。何買えばいいのか売り場で迷ってしまった状態。でかめタイプを用意してくれと言う先生たちは、この話を聞いてたいがい驚愕の目を向ける。女性の体ってのはいろいろだ。
 男の子の思春期の成長の中で。マスターベーションに関しての話がけっこう出てくる。知的障害がある子を育てる上で、マスターベーションという言葉を元気よく当たり前に口にできなければ話せない話はたくさんある。出せない子の苦悩という話もある。その中で「最近はセルフプレジャーという言葉が使われ始めている」と保健室の先生からの話。あらかっこいい。
 「小さい女の子が好きで、目で追ったり近づこうとする」的な男の子の話。反対に小さい子が苦手で小さい子が近くにいると感情が高ぶってしまう男の子の話とか。加害者になる不安。加害者として解釈されてしまう不安。とか。
 社会的に迷惑になりそうなことに対しては、もちろん考えていかなければならないのだけれど。誤解からの検挙もある。解決していくために橋渡しになる専門家が必要になることもある。2005年に聞いた弁護士さんの講演内容を紹介しながら、そんな話をする。手帳からこの弁護士さんの名刺を取り出し、連絡先を伝える。参加者が一斉にメモを取る。来て欲しくない日のためのお守りのような番号。
 この弁護士さんの名前を伝えながら、大まじめな顔をしながら、内心では(どわ〜)とかちょっと思ってたり。ではこの弁護士さんはどういう方なのか、と、誰かネットで検索するだろなあ、と。この方のお名前を入れたGoogle検索で現在トップなのは、わたしがこの方の講演の話を書いたgooブログのエントリ。ぬはは感覚はある。あるけど背に腹は替えられないってのは多分このこと。
 知的障害のある子に出てくる思春期の様々な行動、心理的不安定も出てくる。そうしたことに対して何か突破口になるような体験をした方は、と司会は振るが、そんな話は出てこない。ただものすごく心に残った言葉。「結局、その時期につき合うということなんだと思う」と。「それしかできなかった」と。
 そうだよなあ、と思う。知的障害のある子を育てる上で「その時期につき合う」ということはたくさんあると思う。そしてその時期その時期につき合いながら、いつの間にか通り抜けて、歩いてきた道を眺めて成長を思う。知的障害のある子を育てるっていうのは、そういうことのくり返しなんだろう。