リツエアクベバ

satomies’s diary

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2007年の秀逸な記事/輝け!小運動会
息子の成長メモ
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20071005/p1

 すごいタイトルでリンク並べていただいて、気恥ずかしかった。
 ここでリンクいただいたエントリ「息子の成長メモ」というものは。箇条書きにしたひとつひとつの流れ、そのひとつひとつにけっこうな話になるものが存在する経緯で。ただそのひとつひとつはその流れの中にあるものだと。それをいちいちひとつひとつ説明するわけにもいかんってこともあり。それでそんなことをばばばとただ並べたもので、反響のようなものに正直驚いたエントリだった。
 この反響、人はこういうものが好きなのかな、と漠然と思っていたのだけれど。リエとなんだか話してるときに「聞いたことある話なのに、何度も再読に行った」っていうので、なんか(そうかあ)とやっと反響に納得したような感じ。わたしは現在進行形のナマモノに接している分、わからないとこもあるんじゃないかと思った。
 10歳までの成長の経緯に関しては。あるダウン症の親の会の会報に原稿として書いて欲しいと言われて書いた。このときに書いたのは、「弟が発達面で姉を追い越していくときに、それはある意味『姉の喪失』だった」というのが主としたテーマだった。自分が「姉」を追い越していく。稀代のねーちゃん子だったからこそ、それは彼にとってはきつい体験だった。
 この文章は結局、ダウン症の二つの親の会の会報に掲載された。ある日ある保健師さんに腕をつかまれる。その方は障害児のきょうだい児という立場の方で。きょうだい児の成長をこんな風に見つめられているのかと思うと胸がつまった、ということだった。どうしても「親と障害のあるきょうだい、そして自分」という関係性でとらえてしまうところがあり、それを思春期以降に自分で解決していかなければならない。それが「障害児のきょうだい児」に多いことなんだ、と言われる。涙ぐみながら言われたその姿に、やはり自分も涙目になりながら(そうか)と思う。
 このときに書いたこの文章は、息子の学校行事の「二分の一成人式」のときに作った本人保管のタイムカプセルに入れてやった。この子はルールに変に真面目な子なので、多分本当に二十歳までこの箱を開けないと思う。二十歳になったときに10歳までの自分と姉と姉の障害と、と。そういう話をどんな風に感じるのだろうと、時々思う。
 「息子の成長メモ」を書いたのは10月。そして今は12月に入った。まだまだ彼と姉の関係性は日常の中にこぼれ話を落としていく。わたしの中の記憶スイッチが、かちっかちっと反応していく。
 障害児のきょうだい児としての息子の成長には、いろいろな色がある。「息子の成長メモ」も、それは実は「宿泊学習と息子」というエントリで書いたこととセットであり、だからこその成長の流れなんじゃないかとも思う。このあたり、「障害児のきょうだい児」とひとくくりで言えることではなく、息子には息子特有の線があるんだろうなあと思う。それは娘の個性と関係性にあるんじゃないかと思う。
 ただ、まだ彼は中学生になったばっかりなわけで。これからまた、彼は彼の葛藤が出てくるんだろうと思う。そういうところで「先」を少なからず呈示してくれる天竺堂さんの存在はありがたいなと思う。
 わたしは。子どもを産んで初めて「障害をもつ人の家族」になった身であって。生まれたときから「障害をもつ人の家族」であった息子とは違う。そういう意味で息子に教えられることは多い。ふってわいた状況に合わせていく価値観ではなく、存在が当然というところから成立している価値観。そうくるか、的なときがたまにある。驚かされる。