リツエアクベバ

satomies’s diary

さるさるさーさんからTB受信

忘れない為に/兄は心の病気〜自閉症の兄〜
でも、本当は苦しかった。つらかった。
さみしかった。甘えたかった。
でもその言葉を言ってはいけないと思っていました。

 2000年のこと。だから今から7年ほど前になるんでしょうか。ちょっとしたお誘いがありまして。そのお誘いってヤツである掲示板を閲覧に行って。そこには目を覆いたくなる光景ってのがあった。
 障害児の親の個人サイトの掲示板、そこの管理者は下の子になる子を流産したばかり。そこにきょうだい児の書き込みが入ったわけです。「自分はきょうだいとして苦労した、だから下の子ってのは作らないで欲しい」と。
 いわゆる匿名の投稿、立場は姉。文章もまあ乱暴といえば乱暴な感じではあった。
 だけど「目を覆いたくなる光景」ってのは、この匿名の投稿じゃなかった。親の立場の人間たちがよってたかってその姉を袋だたきにする光景だった。そしてわたしはその袋だたきにする一人として誘われたのでした。
 その時点ですでに袋だたき状態になっていて、もうその姉は来ないだろうと思った。なんでもっと早く呼んでくれなかったのだろうと思った。この袋だたき状態では、わたしが何を言っても、このヒートアップした群衆には届かないだろうと思った。いや届かないだろう相手だからこれだけの袋だたきになったのではないか、とも思った。どうしようもなく悲しかった。
 袋だたきにした親の大半は、その子どもが幼児期。その幼児期の家庭で、自分のところのきょうだい児がいかに障害をもつ子に優しいか、いかにきょうだい同士が仲がいいか、アンタみたいに考えるのはアンタがおかしい、と。
 よ、よ、幼児期でなんでこんなに結論なんてことがつけられるんだ、と思った。なんでこんなに強引に自信をもって主張できるのか、わたしはそれが不思議だった。全ての人が袋だたきにできる自信をもって、実際そんなことが普通だったらば、存在しないきょうだい児の心理なんてのは、山ほどあるんじゃないか、と思った。
 娘を育てる上で、とても身近なところに、いわゆる母親友達として、障害児のきょうだい児という立場の人がいた。彼女は娘の成長をとても喜んでくれたけれど、それと同時に毒を向けてくることも多かった。平穏にごく普通にささやかに平凡な、という感じの光景にわたしと娘がいると、自分がどんな思いをしたかどんなに苦労をしたか、と。あなたにはわからない、といったようなこと。
 その毒は、わたしにとってどんなにか栄養になったかしれない。毒の端に質問の隙があれば、わたしはどんなことでも聞いた。彼女の生育歴の中で彼女がとてもじゃないけれど忘れられないような光景は、わたしの記憶の中にもしっかりとおさまっていった。ひとつひとつの情景がまるで映画のワンシーンのように。
 苦しいと思うこと。その彼女の記憶というものは、何十年という歳月を経ても彼女自身の中にしっかり刻まれているにも関わらず、人に話したのは初めてということばかり。彼女のご両親は何も知らないということばかりだった。そこには親の態度対応がかなり関わっているのに。それでも彼女は誰にも言えなかったのだということ。このことはわたしの中に大きく残っていくことになったと思う。
 で、話は戻って掲示板の姉の投稿と親たちによる袋だたき。流産したばかりの人間の個人サイトの掲示板に、確かに書くべきことではないかもしれない。それは暴力的な投稿かもしれない。でもね、その行為の悪意ってものは、本人にはわかっていたはず。匿名でその行為をすることの背景は何か。そこにどんな悲しみがあったのか。彼女が飲み続けなければならなかった毒の正体というものは何か。
 集団による袋だたきという行為で、全てのチャンスを無にしてしまったのだ、と思った。集団のテンションをもって相手に相当の傷も与えただろうとも思う。わたしはこの匿名の姉の傷を思うと、とてもとても悲しかった。
 わたしは卑怯にも、ただ後ずさった。ただ後ずさってきたのは、この集団の自信に対しての怖れというものもあっただろうと思う。知っている人というのが、わたしを誘った一人でしかなかったということもあったと思う。保身だね、はっきり言えば。
 火事の焼け跡だけを見たわたし。何も言えなかったわたし。卑怯者に成り下がったわたし。あのときのあの姉に、ごめんなさいと言い続けたいような思いをいまだに引きずっているようにも思う。
 そのわたしの本音というもの。悪いけれどたかが幼児期で何がわかるのか、とも思った。うちの子はアンタと違う、優しくてしっかりしたいい子だ、と。そう主張する面々を見ながら、そこで話に出される子どもたちは、いい子以外の道は無いのか許されていないのか、とも思った。
 ネット上には親が発言する場は膨大にある。その中に比較にはならない少なさで、きょうだい児の場というものがある。「半年ROMれ」でしたっけ。この言い方、ネット上できょうだい児の方の発言に対しての場での親の発言に、たまに感じる。まあ待て、まあ聞けよ、と。きょうだい児の思いってのは、親を否定すると早急にとらえるのは損だ、短気を起こしちゃいけない。全てのヒントがそこにはある、と、わたしは思う。